フランツ・クサーヴァー・モーツァルトとは? わかりやすく解説

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フランツ・クサーヴァー・モーツァルト

(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 21:44 UTC 版)

フランツ・クサーヴァー・モーツァルト
Franz Xaver Mozart
1825年
基本情報
生誕 (1791-07-26) 1791年7月26日
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
死没 (1844-07-29) 1844年7月29日(53歳没)
オーストリア帝国カールスバート
ジャンル 古典派
職業 作曲家ピアニスト

フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング・モーツァルト(Franz Xaver Wolfgang Mozart, 1791年7月26日 - 1844年7月29日)は、オーストリア作曲家ピアニスト

著名な音楽家であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの末子で四男[1]

生涯

唯一成人した兄カールは音楽家の道を歩まなかったことと、母コンスタンツェの意向もあり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世として活動した。しかし、生まれた4ヶ月後に父親が他界したため、父から直接、卓越した音楽教育などを受けた事実はない。アントニオ・サリエリヨハン・ネポムク・フンメルに師事(その他、ゲオルク・ヨーゼフ・フォーグラーヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーにも師事したとされる)。

2曲のピアノ協奏曲の他にピアノ・ソナタポロネーズロンド変奏曲などの作品がある。1820年代に刊行された《ディアベリの主題による50の変奏曲》には、フランツ・リストなどとともに名を連ねている。

作品は洗練され、繊細であるが、ウェーバーシューベルトと同世代にもかかわらず、作風はウィーン古典派の域を出ない。1820年頃からは作曲をほとんどやめて演奏活動に専念した。1844年カールスバート胃癌のため亡くなり、同地に埋葬された。53歳没。

生涯独身で、兄と同じく子供をもうけなかったため、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの血筋は途絶え、母コンスタンツェの血筋もこの兄弟の代で途絶えた。

フランツ・クサーヴァーの名は、父ヴォルフガング・アマデウスの協力者であったフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーの名を貰い受けている。ここから、彼は本当はジュースマイヤーとコンスタンツェの不義の子だったのではないかと、後に憶測されることとなった。

また、1820年に出版された「メユールの歌劇『ジョゼフ』のロマンスによる5つの変奏曲」作品23は、1994年までリストの少年時代の作だと誤認されていた。

主な作品

  • ピアノ四重奏曲 ト短調 作品1
  • ヴァイオリン・ソナタ ロ長調 作品7
  • ピアノ協奏曲 ハ長調 作品14
  • ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 作品15
  • チェロ・ソナタ ホ長調 作品19
  • ピアノ協奏曲 変ホ長調 作品25

脚注

  1. ^ 両親の間には4男2女が生まれたが、そのうち成人したのは次男カール・トーマスと四男フランツ・クサーヴァーだけで、残りの4人は乳幼児のうちに死亡している。

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