ヴェナンツィオ・ラウッツィーニとは? わかりやすく解説

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ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 03:18 UTC 版)

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ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ
Venanzio Rauzzini
Robert Hancockによる点描画
基本情報
生誕 1746年12月19日
教皇領カメリーノ
死没 (1810-04-08) 1810年4月8日(63歳没)
イギリス
イングランドバース
ジャンル クラシック
職業 カストラート歌手、作曲家

ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ(Venanzio Rauzzini, 1746年12月19日 - 1810年4月8日[1])は、イタリア人カストラート作曲家ピアニスト、歌唱指導者、演奏会興行者。

ラウッツィーニは少年期、システィーナ礼拝堂の合唱団に所属しており、ドメニコ・コッリとムツィオ・クレメンティの弟子であった。またローマではジュゼッペ・サンタレッリに、ナポリではニコラ・ポルポラに師事している[2]

生涯

ラウッツィーニはカメリーノに生まれた。彼がオペラデビューを果たしたのは1765年、ローマのヴァッレ劇場英語版であり、ニコロ・ピッチンニのオペラ「Il finto astrologo」で男性役の1人を演じた[3]1766年にはヴェネツィアサン・サムエレ劇場英語版で歌い、その後の1766年から1767年にはバイエルン国立歌劇場の舞台に上がった[2]。ラウッツィーニは多くの既婚女性と浮名を流したために、ミュンヘンの宮廷を去らねばならなくなった[4]。次に1767年に彼がウィーンの宮廷で歌った際には、モーツァルトが聴いていた。モーツァルトは「ラウッツィーニの歌声を聴いて喜んだ反応をし、ミラノで『ルチオ・シッラ英語版』(1772年)の主役を演じて欲しいと申し出た。その後、特に彼のためにモテットエクスルターテ・ユビラーテ』(1773年)を作曲している[5]。」

ラウッツィーニは1770年代初頭にはヴェネツィアとミュンヘンでの演奏活動に復帰し、1774年から舞台を退く1778年まではロンドンでも大きな興行的成功を収めた[6]。オペラ歌手として第一線を退いた後、彼は歌唱とピアノの指導を行い、また多くのオペラを作曲した[2]。数年間ロンドンに暮らした後の1780年バースに居を構え、1781年にニュー・アセンブリー・ルーム・コンサートの指揮者となった[7]ハイドン1794年にラウッツィーニの元に滞在し、もてなしへの返礼としてカノン「タークは忠実な犬でした Turk was a Faithful Dog」を作曲した。題はラウッツィーニの愛犬の記念碑からとられている[8]。ラウッツィーニの著名な弟子にはスティーヴン・ストレース英語版ナンシー・ストレース英語版マイケル・ケリー英語版ジョン・ブラハム英語版らがいる[9]。ラウッツィーニは、1781年頃から1810年に没するまでバースで演奏会の指揮、興行を行った。彼の弟子の多くは、彼が毎年開催する予約演奏会に登場した[10]。彼は生前に自らの歌唱法のアイデアを記した声楽教本や、一冊の専門書を出版している[11]。ラウッツィーニはバース大聖堂英語版に埋葬されており、聖堂には弟子のナンシー・ストレースとブラハムが彼を記念する碑を建てている[12]

オペラ作品

  • Piramo e Tisbeラニエーリ・デ・カルツァビージ台本 (ロンドン、ヒズ・マジェスティーズ・シアター、1775年3月16日)
  • L'ali d'amore」 Carlo Francesco Badini台本 (1776年)
  • L'eroe cineseピエトロ・メタスタージオ台本 (1782年)
  • Creusa in Delfo」 Gaspare Martinelli台本 (1783年)
  • Alina ossia La regina di Golconda」 Antonio Andrei台本 (1784年)
  • La vestale」 Carlo Francesco Badini台本 (1787年)

脚注

出典

  1. ^ Kathleen Kuzmick Hansell, Oxford Music Online
  2. ^ a b c Rauzzini Biography of Venanzio Rauzzini at operissimo.com (in German)
  3. ^ Barbier, p. 88
  4. ^ Barbier, pp. 138-139
  5. ^ Barbier, p. 179
  6. ^ Barbier, p. 185, P. 210
  7. ^ Sands, Mollie (March 1953). “Rauzzini at Bath”. Musical Times 94 (1321): 108–111. 
  8. ^ Baldwin, Olive. “Rauzzini, Venanzio (1746–1810)”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 2012年11月27日閲覧。
  9. ^ Emerson (2005, 101)
  10. ^ Brown, Mark. “Bath celebrates the life of the bedhopping singing star of the 1700s”. 2012年11月27日閲覧。
  11. ^ Hansell, ibid.
  12. ^ Baldwin, Olive. “Rauzzini, Venanzio (1746–1810)”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. 2012年11月27日閲覧。

参考文献

  • P. Barbier (1989). The World of the Castrati: The History of an Extraordinary Operatic Phenomenon transl. M. Crosland, Souvenir Press
  • Emerson, Isabelle Putnam (2005) Five Centuries of Women Singers. Greenwood Publishing Group.



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