ルイ=ニコラ・ヴォークラン
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ルイ=ニコラ・ヴォークラン(Louis-Nicolas Vauquelin、1763年5月16日 - 1829年11月14日)は、フランス・ノルマンディー出身の化学者・薬剤師である。1797年にクロム、1798年にベリリウムを発見した。有機化学の分野でもアスパラギン、リンゴ酸、ショウノウ酸、キナ酸などを発見している。
略歴
ニコラ・ヴォークラン(Nicolas Vauquelin)とカトリーヌ・ル・シャルティエ(Catherine Le Charterier)の息子として、1763年5月16日にノルマンディー州サン=タンドレ=デベルトで生まれた[1]。1777年から1779年までルーアンでアポセカリーの助手を務め、化学に触れはじめた[2]。1784年から1792年までアントワーヌ・フールクロアの助手を務めた[1]。
最初は助手として教授と連名で論文を発表したが、1790年より単著として発表するようになり、以降死後の1833年まで350以上の論文を発表した[2]。1797年にシベリアの赤鉛鉱からクロムを、1798年に緑柱石からベリリウムを発見した[2]。
1795年から1801年までエコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)、1801年から1804年までコレージュ・ド・フランス、1804年から1829年まで国立自然史博物館の化学教授を務めたほか、1809年にはフールクロアの後任としてパリ大学医学部の教授に就任し、1822年まで務めた[1][2]。1811年、アメリカ哲学協会会員に選出された[3]。1820年6月1日、エディンバラ王立協会外国人フェローに選出された[1]。1823年12月11日、王立協会外国人会員に選出された[4]。最晩年の1828年にカルヴァドス県から代議院議員に選出された[1]。
1829年11月14日、サン=タンドレ=デベルトで死去した[2]。生涯未婚だった[1]。
出典
- ^ a b c d e f "Former Fellows of the Royal Society of Edinburgh 1783 – 2002" (PDF). Royal Society of Edinburgh (英語). p. 952. 2025年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 961.
- ^ "American Philosophical Society Member History". American Philosophical Society (英語). 2025年6月12日閲覧。
- ^ "Vauquelin; Louis Nicholas (1763 - 1829)". Record (英語). The Royal Society. 2025年6月12日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
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