リュディア王国征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:20 UTC 版)
次に不死身の1万人(不死隊)と呼ばれた軍団を率いて小アジア西部のリュディア王国に攻め込んだ。紀元前547年秋のプテリアの戦い(英語版)では引き分けたが、同年10月のテュンブラの戦い(英語版)ではリュディア王クロイソスを破り、続いて首都サルディス攻囲戦(英語版)でリュディアを征服した。ヘロドトスによればその時キュロスはクロイソスを火刑に処そうとしたが、クロイソスがアポロンに嘆願すると突如雨が降って火を消したため、キュロスはクロイソスの命を助けた。その後、クロイソスはキュロスに参謀的な役割で仕えた。この後、さらにハルパゴスに命じてカリア、リュキア、イオニアのギリシア人ポリスといったアナトリア西端のエーゲ海沿岸地方を恭順させた。紀元前546年には旧ペルシア地方に新首都パサルガダエの建設を始めた。
※この「リュディア王国征服」の解説は、「キュロス2世」の解説の一部です。
「リュディア王国征服」を含む「キュロス2世」の記事については、「キュロス2世」の概要を参照ください。
- リュディア王国征服のページへのリンク