ランチア・ストラトス
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ランチア・ストラトスHF(LANCIA STRATO'S HF (acca effe))は、イタリアのランチアが製造したスポーツカー。世界ラリー選手権(WRC)で勝利することを目的に開発されたホモロゲーションモデルである。
- ^ a b 当時のイタリア語カタログ
- ^ “1970ランチアストラトスゼロ:ウェッジ時代からのクレイジーコンセプト”. vintagenewsdaily.com (2021年4月13日). 2021年8月29日閲覧。
- ^ “ランチアストラトスHFゼロ”. concoursvirtual.com (2020-). 2021年8月29日閲覧。
- ^ 当時ベルトーネが保有しているグルリアスコ工場の最大生産可能台数。対してランチア側は、ホモロゲーション取得の最低台数である500台を生産できれば良いという姿勢であった。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「ストラトス誕生前史“ゼロ”との邂逅」より。
- ^ 競技項参照。
- ^ だが、このフィアット側からの摩擦に際しては結果的にラリーで勝利することによってフルヴィアの生産続投をも後に決定された。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「プロジェクト“S” ジャンニ・トンティの証言」より。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」より。
- ^ テクニカル・ディレクターのトンティはベルトーネより出来上がってきたシャシーは細部の完成度が低かった事もありこのままの状態でのラリー参戦は反対していた。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「プロジェクト“S” ジャンニ・トンティの証言」より。
- ^ エンジニアによる重量と負荷に関する理論値の計算が間違っており、いくらセットアップをやり直してもドライビング自体に支障をきたしていた。原因はハブキャリアの剛性不足であり、鋼板溶接品からダイキャスト製に変更され、その後のラリーであるコスタ・デルソルで問題は解消された。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview サンドロ・ムナーリ」より。
- ^ 三栄ムック「ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF」より。
- ^ フェラーリ側の供給問題の背景としては、ベース車両となるディーノ246GTの後継である308GT4の生産にスイッチする時期にあり、フィアット首脳部がグループ4ホモロゲーション取得のためだけに246エンジンの生産ラインを維持することに難色を示したことが挙げられる。それは二次的な問題であったが、フィオリオの見解によればそれ以前にもプロトーティポ期にディーノエンジン搭載が決定されると同時に、フィアット側からただでさえラリー競技でのアドバンテージが引き離されてしまう事を危惧した一部のフィアット首脳陣による1年間にわたる妨害工作、通称「ストラトス反対運動」により摩擦が生じていた。これがフィアットのジャンニ・アリエッリのもとに届き、事態は収束したとされる。この問題を乗り切るために時間を浪費した結果、オイルショックに直面する。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」より抜粋参考。
- ^ 双葉社刊 「幻のスーパーカー」福野礼一郎著
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「今なお戦うストラトス ドロ沼にハマった好事家の苦労」より抜粋参考。
- ^ 後には後部カウル後端に外部から開閉可能なフタを持つ荷室を配した。
- ^ シート裏とエンジンルームとの隔壁(ファイヤウォール)の隙間はシートを後ろ寄りにするとないに等しく、スペアタイヤの収納スペースとなる前部カウル内は車体前方に置かれたラジエータからの熱風とそれを排出する上部アウトレットの通風経路として確保しておく必要があった。
- ^ Wikipedia英語版による
- ^ この火災において、フィアット側で一旦は収まった「ストラトス反対運動」の一環と言う諸説が後年になって囁かれたが真相は定かではない。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」、「History of Stratos 絶対王者のジレンマ」より抜粋参考。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「History of Stratos 絶対王者のジレンマ」より抜粋参考。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」より抜粋参考。
- ^ 当時、ディーノは206から246に進化していたが、ベルトーネにあったのは206GTのエンジンだった。
- ^ 当初、フィアット社内の反対派のせいで、止む無くフィオリオの提案によりシトロエン傘下であるマセラッティのエンジンを使う事が選択肢として存在する中でゴッバートがエンツォを説得できればジャンニ・アニェッリはあらゆる反対意見を排除する事を約束。そこで、フェラーリ側とは最終的にエンジンにフェラーリのバッジを付けない事で合意し、ジャンニ・トンティが出向きエンジンの変更点等の技術的なミーティングに至った。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「プロジェクト“S” ジャンニ・トンティの証言」より抜粋参考。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「プロジェクト“S” ジャンニ・トンティの証言」、「今なお戦うストラトス ドロ沼にハマった好事家の苦労」より。
- ^ 但し後年、ストラトスに関わり合いが深いサンドロ・ムナーリは書籍インタビュー上で操縦性に関するコメントをこう寄せている。「もし、ストラトスをドライブしづらいと言う人間がいるとしたらその限界はマシンによるものではなく、ドライバーから来るものだ。」三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview サンドロ・ムナーリ」より。
- ^ テレビ朝日 カーグラフィックTV「ランチアストラトス特集」放送内。『カーグラフィック』誌元編集部員の田辺憲一が語るラリー取材上でのエピソード。
- ^ 「ピレリ P7・コルサ・クラシックがサインツの手によってデビュー」ピレリプレスリリース2012年3月6日記事内より
- ^ ネコ・パブリッシング CAR MAGAZINE誌2007年10月号による)。
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「プロジェクト“S” ジャンニ・トンティの証言」より。
- ^ サンレモ、リドー湖、ツール・ド・コルスの3勝
- ^ Interview: Bjorn Waldegard – part 1
- ^ 山海堂オートテクニック誌 昭和50年5月臨時増刊号 「'75ラリー&rally SAFARI」参考。
- ^ この年のサファリはムナーリの手で3位に入ったもののシモ・ランピネンなどもエンジントラブルで終わる。rallybase.nl 「25th Safari Rally result」 より
- ^ フルヴィアやベータ・クーペでのポイントを含む。
- ^ ネコ・パブリッシング社 CAR MAGAZINE 2007年10月号「ストラトス史上最大の作戦」
- ^ これについては統廃合の際、フィオリオ自身が指摘しており、元々摩擦関係にあったフィアットは彼を解雇。その直後のトリノ・ショウでジャンニ・アニェッリと偶然遭遇し、アニェッリ自身がこの事を周りの首脳陣ですら悟っていない事を知り、一瞬の動揺を覚えると数日後、フィアットより再雇用された。-三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」より抜粋参考。
- ^ 。-三栄ムック「ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF」より抜粋、参考。
- ^ 結果この年はモンテカルロ、サンレモ、ツール・ド・コルスの3勝
- ^ 三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「PLAYBACK the Rally Scene 1972-1974」より。
- ^ 京商「ランチア ストラトス ターボ グループ5 1977」 1/43ミニカーモデル添付インストラクション。
- ^ サムネイル写真のデータによる
- ^ 動画ポータル等にアップされている当時の放映VTRより確認。
- ^ “ホーク HF 3000 および HF 2000”. ホークカーズ (n.d.). 2021年6月7日閲覧。
- ^ “lb specialist cars”. lb specialist cars (n.d.). 2021年6月7日閲覧。
- ^ 2000 Stola S81 - conceptcarz.com 2012年3月16日閲覧。
- ^ 2000 Stola S81 - carstyling.ru 2012年3月16日閲覧。
- ^ 代表兼デザイナーはChris Hrabalek。
- ^ 【ジュネーブモーターショー05】ストラトス 復活…発売はされませんが - response. 2005年3月15日
- ^ フランクフルトショーvol10、フェノメノン・ストラトス - ホビダスオート 2005年9月20日
- ^ 以後の発表がなく、コンセプトカーとされるものの、唯一ゲーム作品「Colin Mcrae DiRT」(Codemasters)の作中でも「New STRATOS」として量産手前のテスト段階車両が登場する。
- ^ First Sight - Fenomenon Stratos - Car Design News 2005年3月5日
- ^ a b [動画]ランチア ストラトス 復刻モデル…オーナー大満足 - response. 2010年9月13日
- ^ 2010年9月時点にて、日本側プレスからの名称使用権の説明は一切ないが、公式サイトによればMichale Stoschekが世界的なストラトスのコレクターズミーティングである「World Stratos meeting」上でフェノメノン代表との面識、関り合いがあり、フェノメノン・ストラトスからの影響について述べられている。
- ^ a b ニュー ストラトス が完成、オーナーに引き渡し - response. 2010年11月13日
- ^ ニューストラトス、0-100km/h加速は3.3秒 - response. 2010年12月8日
- ^ a b ニューストラトスの量産計画、フェラーリが待った!! - response. 2011年7月13日
- ^ ニューストラトス、量産を断念か - response. 2012年1月17日
- ^ 復刻ワンオフ、ニュー ストラトス…ラリーに挑戦[動画] - response. 2012年8月12日
- ^ 【ジュネーブモーターショー12】ベルトーネ ヌッチオ…ミッドシップスポーツ現る - response.jp 2012年2月27日
- ^ 【ジュネーブモーターショー12】ベルトーネ ヌッチオ…ストラトス ゼロ の再来 - response. 2012年3月9日
- ^ 【北京モーターショー12】ベルトーネ ヌッチオ が進化…モックアップから実車へ - response. 2012年5月9日
- ^ 【北京モーターショー12】ベルトーネ ヌッチオ 詳細画像…往年のデザインを再現 - response. 2012年5月9日
- ^ Bertone Nuccio working prototype previewed for Beijing(英語) - WorldCarFans 2012年4月18日
- 1 ランチア・ストラトスとは
- 2 ランチア・ストラトスの概要
- 3 概要
- 4 競技
- 5 レプリカ
- 6 コンセプトモデル・プロジェクト
- 7 脚注
ランチア・ストラトス
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「カウンタック (漫画)」の記事における「ランチア・ストラトス」の解説
沢田玲のかつての愛車。沢田によってライトチューンが施されている。法人名義だったため、沢田の父の会社が倒産した際に借金のカタとして持っていかれてしまった。
※この「ランチア・ストラトス」の解説は、「カウンタック (漫画)」の解説の一部です。
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