ラフィク・ハリリ元首相の暗殺の関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:27 UTC 版)
「ヒズボラ」の記事における「ラフィク・ハリリ元首相の暗殺の関与」の解説
2005年2月14日、レバノンでラフィーク・ハリーリー元首相などを乗せた車列がベイルート市内を走行中に道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、同氏を含む22人が殺害された。ハリーリーは1992~1998年、2000~2004年にレバノン首相を務めた。2009年、ハリーリーの暗殺事件を審理する国連特別法廷が、ヒズボラが殺害に関与した証拠を発見したと報道された。2011年6月30日、ハリリ殺害事件捜査のため設置されたレバノン特別法廷は、ヒズボラ幹部4人に逮捕状を出した。同年7月3日、ヒズボラ最高指導者のハサン・ナスルッラーフは起訴事実を否認し、同法廷をヒズボラに対する陰謀であると糾弾し、逮捕状が出された幹部は絶対に逮捕させないと言明した。 2020年8月18日、国連特別法廷は、被告人不在のまま、4人の内1人に殺人やテロ行為などの罪で有罪判決を言い渡した。残り3人は証拠不十分で無罪とし、ヒズボラの組織的関与についても「ハリーリーを排除する動機はあったかもしれないが殺害に関与した証拠はない」とした。
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