ラジオDJデビュー後
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「ケイ・グラント」の記事における「ラジオDJデビュー後」の解説
1988年、その年に開局したJ-WAVEで深夜番組「Still Life」(スティルライフ)のナビゲーター(ナレーター)としてデビュー。翌1989年に開局したFM802において「OSAKAN HOT 100」のナビゲーター(DJ)を「SUPER MASA」の名義で務めるも過密スケジュールで体調を崩し、3年弱で降板。 1991年12月22日にJ-WAVE「Denka J-wave Trial」で現在の芸名に改める。 PRIDE、DREAMやハッスルなどの各種格闘技イベントでリングアナウンサーを務めた。テレビ番組では主に司会やナレーションを担当。 2008年9月19日付のTBSアナウンサー(当時)の小林麻耶のブログによると、心臓の病気で都内の病院に入院しバチスタ手術を受け無事に成功。2008年12月30日の「第50回輝く!日本レコード大賞」、大晦日の格闘技「ダイナマイト」から完全な体調で復帰している。
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