やとな
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 18:21 UTC 版)
やとな(ヤトナ、雇女、雇仲居とも)は、明治末期に京阪地方に現れた臨時雇いの仲居のことで、料理屋・待合・宿屋などに雇われて客の相手をし、しばしば売春もした[1][2]。配膳・跡片づけから、安い花代で酒席の接客もすることから重宝され、数年後には東京にも広まり、第1次世界大戦後に最盛期となった[3][4][5]。派生語に「やとな芸者」(日雇い芸者)、「やとな倶楽部」(やとなを派遣する会)などがある[1]。女性の雇われ人(従業員)を単に意味する一般用語の「雇女」とは異なる。
- ^ a b 雇女Weblio辞書
- ^ ヤトナとヤトジュウ『酔醒禅』虚心窟主人 (文禄堂, 1906)
- ^ 雇女(読み)やとなコトバンク
- ^ やとな(雇女∥雇仲居)(読み)やとなコトバンク
- ^ a b 雇仲居の活動『女百面相 : 当世気質』山村愛花 (日本書院, 1918)
- ^ 京都『やとな』淫騷の一幕『女魔の怪窟 : 昭和奇観苦心探険』墨堤隠士 (啓仁館書房, 1932)
- ^ 上方名物やとな『日本歓楽郷案内』(談奇群書 ; 第4編) / 酒井潔 著 (竹酔書房, 1931)
- ^ a b 中性の水商賣やとな『商売うらおもて. 続』大阪朝日新聞経済部 編 (日本評論社, 1926)
- ^ 『ドン底の闇から』p12-14村島帰之 著 (サンデー・ニュース社, 1926)
- ^ 雇仲居、雇仲居置屋營業取締規則(拔萃) 大正五年三月縣令第十一號『救護法関係法規』(神戸市社会課, 1935)
- ^ 雇仲居倶楽部『京都商工人名録. 昭和15年度』
- ^ 夫婦善哉 織田作之助青空文庫
- ^ それでも私は行く 織田作之助青空文庫
- ^ 素人屋で散財しても遊興税を申受ける大阪朝日新聞 1921.1.27 (大正10)
- ^ a b ドキュメンタリー映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』新藤兼人、1975年
- ^ a b 新開地雇仲居の慘死『捜査と防犯 : 明治大正昭和探偵秘話』 (兵庫県防犯研究会, 1937)
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