モーリッツ・アブラハム・シュテルン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 08:57 UTC 版)
![]() |
この記事はドイツ語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2025年6月)
翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
Moritz Abraham Stern
モーリッツ・アブラハム・シュテルン |
|
---|---|
![]() |
|
生誕 | 1807年6月29日![]() |
死没 | 1894年1月30日(86歳没)![]() |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | ゲッティンゲン大学 |
博士課程 指導教員 |
ベルンハルト・フリードリヒ・ティボー カール・フリードリヒ・ガウス |
主な指導学生 | ベルンハルト・リーマン フェルディナント・アイゼンシュタイン |
主な業績 | シュテルンのdiatomic数列 スターン素数 シュテルン–ブロコ木 |
プロジェクト:人物伝 |
モーリッツ・アブラハム・シュテルン[1][注釈 1](独: Moritz Abraham Stern、1807年6月29日 - 1894年1月30日 )は、ドイツの数学者。
1858年にゲッティンゲン大学でカール・フリードリヒ・ガウスの後任として正教授となった。ユダヤ教から改宗せずにドイツで正教授となった初めてのユダヤ人であった[4][注釈 2]。
大学教授として、シュテルンはガウスの生徒でもあったベルンハルト・リーマンを教えた。また、フェルディナント・アイゼンシュタインの平方剰余の相互法則の証明の定式化に協力した。他に平方数の2倍の数と素数の和で表現できるスターン素数について考究した。
シュテルンのdiatomic数列
- 1, 1, 2, 1, 3, 2, 3, 1, 4, … (オンライン整数列大辞典の数列 A002487)
は、(同じべき乗は使用せずに)2のべき乗によって、数を表現する方法の個数の数列である[5]。
1858年には、(1861年に同様にこの木について書いたアシル・ブロコの名と合わせて)現在シュテルン–ブロコ木と呼ばれる木を導入した。
脚注
注釈
出典
- ^ フロリアン・カジョリ 著、石井省吾 訳『数学史 下』津軽書房、1974年2月。NDLJP:12608793。
- ^ E.T.ベル 著、田中勇, 銀林浩 訳『数学をつくった人びと』東京図書、1976年。NDLJP:12608831。
- ^ 『輓近高等数学講座』共立社、1931年。NDLJP:1217378。
- ^ Setting the record straight about Jewish mathematicians in Nazi Germany, Haaretz
- ^ Stern, M. A. (1858), “Ueber eine zahlentheoretische Funktion”, Journal für die reine und angewandte Mathematik 1858 (55): 193–220, doi:10.1515/crll.1858.55.193.
外部リンク
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Moritz Abraham Stern”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-継承 3.0 非移植のもと提供されているオンライン数学辞典『PlanetMath』の項目Moritz Sternの本文を含む
- モーリッツ・アブラハム・シュテルンのページへのリンク