モラヴィア教会とは? わかりやすく解説

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モラヴィア兄弟団

(モラヴィア教会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/04 10:41 UTC 版)

モラヴィア教会の紋章

モラヴィア兄弟団(モラヴィアきょうだいだん、チェコ語:Moravští bratři)は、敬虔主義キリスト教宗派英語版であるモラヴィア教会英語版の分派の一つ。のちにモラヴィア教会に再統合された。

モラヴィア教会の歴史

モラヴィア教会は、ボヘミア王冠領でローマ・カトリックを批判して1415年に殉職したボヘミア(チェコ西部)の宗教改革家ヤン・フスの思想を源とする。当時の新興プロテスタントであったフス派の教団は、1457年、ボヘミアのクンヴァルトにて「同胞の団結」を意味するウニタス・フラトルム "Unitas Fratrum" 組織を結成した。「チェコ兄弟団」や「ボヘミア兄弟団」と呼ばれた。

フェルディナント2世によるプロテスタント弾圧に対し、欧州では偶像を嫌うプロテスタントのビルダーストゥルムドイツ語版運動が拡大し、1566年、ネーデルラント17州オランダ蜂起英語版から八十年戦争が始まったが、1618年の三十年戦争に至ってプロテスタントへの迫害は熾烈を極めたので、兄弟団はドイツヘルンフートや、デンマーククリスチャンスフェルドイギリスのグレースヒル、アメリカペンシルバニアベスレヘムなどに入植して逃れた。

ドイツの共同体ヘルンフート

ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ

1722年、ザクセン選帝侯領ドレスデン生まれのツィンツェンドルフ伯爵が、モラヴィアから逃れてきたフス派、兄弟団の群れを保護し、ヘルンフート(主の守り)と呼ばれる都市を建設した[1]。各地で迫害されていた敬虔派アナバプテストも逃れてきたが、互いに権利を主張しあって問題が絶えなかった。1737年ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフが監督となる。

ジョン・ウェスレーとメソジストへの影響

イングランド国教会の司祭ジョン・ウェスレー1735年、アメリカのジョージアへ行く途中に、モラヴィア兄弟団の存在を知り、生活を共にしてモラヴィア兄弟団の敬虔主義の影響を強く受けた。航海中の嵐の中で平安を保ち、神を賛美するモラヴィア兄弟団に感動したのである。上陸後モラヴィア兄弟団の指導者シュパンゲンベルク英語版はウェスレーに「あなたはイエス・キリストを知っておられますか?」と尋ねた。後の1738年、アルダスゲイトでモラヴィア兄弟団の宣教師ペーター・ベーラーの信仰義認の説教を聞いて、信仰の確信を得、第二の回心ともいうべき体験をしている。このように、モラヴィア兄弟団の敬虔主義は、後に形成されたメソジストにも大きな影響を与えた。

世界宣教

モラヴィア兄弟団は、1732年ヴァージン諸島セントトマス島に2人、グリーンランドに3人の宣教師を派遣した。1732年には、アフリカ大陸西ケープ州ゲンナデンダルなどにゲオルグ・シュミットら宣教師を多く派遣し、18世紀、19世紀の世界宣教に貢献した[2]

日々の聖句』と呼ばれるキリスト教聖句集が毎年刊行されて各国語に訳されていて、宗派に関わらず広く読まれている[3]

日本には、アメリカ大陸ニューアムステルダムの兄弟団関連の財閥ヴァンダービルト家の影響も少なくなく、明治時代には宣教師としてグイド・フルベッキアメリカ改革派教会)が渡来した。

世界遺産

モラヴィア教会の入植地群
デンマークドイツイギリスアメリカ
クリスチャンスフェルドのモラヴィア教会
英名 Moravian Church Settlements
仏名 Colonies de l’Église morave
登録区分 文化遺産
登録基準 (3), (4)
登録年 2015年
拡張年 2024年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

モラヴィア兄弟団によって建設されたデンマーククリスチャンスフェルドは2015年に世界遺産に登録された。2024年に同じモラヴィア兄弟団の入植地であるドイツヘルンフートイギリスグレースヒル英語版アメリカベスレヘムも登録された。4か所はいずれもゲマインハウス(公会堂)、教会聖歌隊の建物および墓地を含む、独特のモラヴィア様式の建物がある[4]

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

関連項目

脚注

  1. ^ 長谷川大「モラヴィア教会の入植地群」。世界遺産データベース。
  2. ^ 中村敏『世界宣教の歴史』いのちのことば社[要ページ番号]
  3. ^ 日々の聖句・ローズンゲン(ベテスダ奉仕女母の家、毎年発行)
  4. ^ Moravian Church Settlements” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2025年4月20日閲覧。

参考文献

  • 「共同体運動」『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年
  • 『リバイバルの源流を辿る』尾形守
  • 『霊的スランプ』ロイドジョンズ
  • 『キリスト教大事典』教文館

外部リンク




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