メアリー・ロビンソン (詩人)とは? わかりやすく解説

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メアリー・ロビンソン (詩人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 08:31 UTC 版)

メアリー・ロビンソン トマス・ゲインズバラ作 1781年

メアリー・ロビンソン(旧姓ダービー(Darby))(1757年?11月27日 - 1800年12月26日)は、イギリス女優詩人小説家である。彼女は「イングランドのサッポー」として知られた[1][2]。 彼女はまた、ウィリアム・シェイクスピアの『冬物語』の1779年のパーディタ役で、また王ジョージ4世の、プリンス・オブ・ウェールズ時代の愛妾として知られた。

前半生

ロビンソンは、イングランドブリストルに、海軍船長ジョン・ダービー(John Darby)とヘスター(Hester。旧姓シーズ(Seys))との子として生まれた。 自身の回想録で、[3]ロビンソンは、1758年生まれとするが、最近、刊行された研究によれば1757年が事実であるらしい。 彼女がまだ子供であったころ、彼女の父は母を見捨て、妾をつくった。 家族は和解を期待したが、ダービー船長はそういうことにならないであろうことを明らかにした。 夫の扶養がなくて、ヘスター・ダービーは、若い女性のための学校(そこでロビンソンは14回目の誕生日までに教えた)を開設して自分と5人の子を扶養した。 しかしながら、ダービー船長は、家庭への短期間の帰還のひとつのあいだに、学校を閉鎖した[4]イングランド法では彼はそういうことをする権利があった)。 ロビンソンは、いっとき、社会改革者ハンナ・モア(Hannah More)経営の学校に通学したが、俳優デーヴィッド・ギャリックの注目を引いた。

結婚

ヘスター・ダービーは、娘に、事務弁護士実務修習生トマス・ロビンソン(Thomas Robinson)の求婚を受入れるように促した、彼は相続財産を持っていると主張した。 しかしながらメアリーは婚約に同意したくなかった。だが、彼女は病気になり彼が自分と弟の世話をしてくれるのを見ると、彼に恩義があると感じたし、婚約をしつこく勧める母を落胆させたくはなかった。 結婚してからすぐにロビンソンは、夫が相続財産を持っていないことに気づいた。 それでも彼は凝った暮らしぶりを続け、情事をあけっぴろげに重ねた。 したがって彼女が家族を扶養することになった。 夫が金銭を浪費し借金をつくったため、夫婦はウェールズに逃げた(そこで11月にロビンソンのひとり娘メアリー・エリザベス(Mary Elizabeth)が生まれた)。 ロビンソンの夫が債務監獄に投獄されたのち、家族は自宅軟禁状態で暮らした。[5] この期間中、メアリー・ロビンソンはデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナという後援者を見つけた。彼女はロビンソンの最初の詩集『Captivity』の刊行を後援した。

演劇

『フロリゼルとパーディタ』(『冬物語』の翻案) フロリゼル役のプリンス・オヴ・ウェールズ(左)とパーディタ役のメアリー・ロビンソン(右)の風刺画 左の吹出しは「おお!わが息子よ、わが息子よ」、右の四角形は「寝取られ男たちの王」 1783年

夫が出所したのち、ロビンソンは舞台に戻る決心をした。 彼女は1776年12月、ドルリー・レーン劇場(Drury Lane)でジュリエットを演じて女優人生を始め、舞台を踏んだ。 ロビンソンは、「女優が演じる少年の役」、『十二夜』のヴァイオラと『お気に召すまま』のロザリンドの演技で最もよく知られた。 しかし彼女は、1779年のシェイクスピアの翻案『フロリゼルとパーディタ』におけるパーディタの役(シェークスピアの『冬物語』の女性主人公)で人気を得た。 彼女が、若きプリンス・オブ・ウェールズ、のちの英国国王ジョージ4世の注目を引いたのは、この演技においてであった。[6] 彼は、彼女を愛妾とするために200,000ポンドの提供を申し出た。[7] 社会的に有名になるとともに、ロビンソンは、パーディタとして知られるようになったギリシア彫塑像に基づく、ゆるやかな流れるようなガウンのスタイルを導入して、ロンドンにおける流行発信者となった、 メアリーは、夫を捨ててプリンスに走ることを決心することに、そういう型の女性として公衆によって見られることを求めていなかったので、かなりの時間を要した。 人生の大半をつうじて、彼女は、公衆の眼にさらされて暮らし、なおまた自分が信じる価値観に忠実なままでいることに苦心した。 彼女は結局は、ミスタ・ロビンソン以上によく自分を取り扱ってくれると信じる男性と共にいたいという欲望に負けた。 しかしながら、プリンスは、約束の金額を支払うことを拒んで、1781年に情事を終らせた。[8] 「パーディタ」ロビンソンは、プリンスによって書かれた数通の手紙と自分の著作の返礼に、王権によって約束された年金(しかし支払いはめったにない)で自活させられた。 彼女はもとのようにひとりきりになり、金もなかったし、プリンスとの情事のあとでは公衆が彼女を支持しようとしなかったため、もはや舞台には戻れなかった。[9]

後半生と死

メアリー・ロビンソンは今は、恋をもてあそぶ夫と別居し、次にはいくつか情事をもったが、もっとも有名なのは、アメリカ独立戦争で近年、名をあげた軍人であるバナスター・タールトンとのそれであった。 ふたりの関係は、タールトンの軍人としての昇進とそれに付随する政治的成功、メアリー自身のさまざまな病気、経済的栄枯盛衰とタールトン自身の家族の関係を終らせる努力を経て、その間15年間、続いた。 二人の間に子供はなかったが、ロビンソンは流産を経験している。 しかし、結局タールトンはスーザン・バーティ(Susan Bertie)と結婚した。スーザンは第4代アンカスター公爵の若き女性相続人であり、庶出の娘であり、公爵の姉妹であるレディ・ウィロビー・ド・アーズビー(Lady Willoughby de Eresby)およびレディ・チャムリー(Lady Cholmondeley)にとっては姪であった。

1783年に、ロビンソンは26歳で奇病にかかり、半身不随になった。 伝記作者ポーラ・バーン(Paula Byrne)の推定によれば、流産が原因の連鎖球菌感染症がリュウマチ熱につながり、彼女はその後、死ぬまで肢体不自由者となった。 1780年代後半から、ロビンソンは詩で有名になり、「イングランドのサッポー」と称された。 詩作品のほかに、彼女は6冊の小説、2冊の劇、女権拡張男女同権論の論文、および死亡の時点で未完であった自伝的原稿を書いた。 同時代のメアリ・ウルストンクラフトと同様に、彼女は女性の権利の擁護者であったし、フランス革命の熱烈な支持者であった。 彼女は、不健康な数年間を過ごしたのち、1800年後半に貧困のうちに42歳で、作品が刊行された小説家でもある娘を残して死亡した。

文学

学問的無視の年月ののち、ロビンソンの文学的余生はすばやく続いている。 その著作を研究した学者のために文化的著名を回復したことにくわえて、彼女は、いくつか伝記が刊行された近年、名士の地位をふたたび得たが、そのなかのひとつにはポーラ・バーン(Paula Byrne)によるものがあり、それはリチャード・アンド・ジュディ・ブック・クラブで選ばれたのちベスト・セラーの上位10冊のなかにはいった。 しかしながら彼女について書かれた文献の大部分は、彼女の情事と精巧なデザインの衣裳に包まれた身体を強調して、セックス・シンボルとしての彼女に焦点を合わせている。 1990年代になってようやく、彼女は女権拡張男女同権論者らの注目を受け始めたが、それらの仕事でさえ、文学のロマン主義時代に高度に特化している。 幸運にも、メアリーと彼女のような他の女性たちに関する、現在の調査がある。

著書

  • Sappho and Phaon: In a Series of Legitimate Sonnets
  • 『Vancenza』 (1792年)
  • 『The Widow』 (1794年)
  • 『Angelina』 (1796年)
  • 『Hubert de Sevrac』 (1796年)
  • 『Walsingham』 (1797年)
  • 『The False Friend』 (1799年)
  • 『The Natural Daughter』 (1799年)

メアリー・ロビンソンを描いた肖像画

彼女に関する文献

  • All For Love: The Scandalous Life and Times of Royal Mistress Mary Robinson, a novel by Amanda Elyot (2008)
  • Perdita: The Life of Mary Robinson, biography by Paula Byrne
  • Perdita's Prince by Jean Plaidy (1969).
  • Mary Robinson: selected poems (1999) by Judith Pascoe

注釈

  1. ^ Mary Robinson, Sappho and Phaon, About the Book
  2. ^ Judith Pascoe, Romantic Theatricality, Cornell University Press, 1997, ISBN 0-8014-3304-5, p.13
  3. ^ 彼女の娘メアリー・エリザベスは、母の要求に敬意を表して、1801年にロビンソンの回想録の草稿を『Memoirs, with some Posthumous Pieces』として刊行した
  4. ^ Feldman. p. 590 
  5. ^ Smith, E.A (2001). George IV. The Pursuit of Pleasure. p. 17. https://books.google.co.jp/books?id=TxqfYPZsWFYC&pg=PA17&dq=george+iv+and+mary+robinson&hl=en&sa=X&ei=QnRnT7CDJOLh0QGrnqiLCA&redir_esc=y#v=onepage&q=george%20iv%20and%20mary%20robinson&f=false 
  6. ^ Feldman, Paula R (2000). British Women Poets of the Romantic Era: An Anthology. Mary Robinson (1758-1800). p. 590. ISBN 0-8018-6640-5. https://books.google.co.jp/books?id=Cg6Jn410aCIC&pg=PA590&dq=george+iv+and+mary+robinson&hl=en&sa=X&ei=QnRnT7CDJOLh0QGrnqiLCA&redir_esc=y#v=onepage&q=george%20iv%20and%20mary%20robinson&f=false 
  7. ^ Carroll, Leslie (2008). Royal Affairs: A Lusty Romp Through the Extramarital Adventures That Rocked the British Monarchy. George IV and Mary Robinson 1757-1800. ISBN 978-0-451-22398-2. https://books.google.co.jp/books?id=U5NG9N7oMT0C&pg=PT201&dq=george+iv+and+mary+robinson&hl=en&sa=X&ei=iIxmT6OyNcfw0gG3zYDKBA&redir_esc=y#v=onepage&q=george%20iv%20and%20mary%20robinson&f=false 
  8. ^ See Katharine Binhammer, 'Thinking Gender with Sexuality in 1790s Feminist Thought'. Feminist Studies28.3 (2002): 667-690.
  9. ^ Carroll (2008). Royal Affairs: A Lusty Romp Through the Extramarital Adventures That Rocked the British Monarchy. George IV and Mary Robinson 1757-1800 

参考文献

  • Binhammer, Katherine. 'Thinking Gender with Sexuality in 1790s Feminist Thought.' Feminist Studies28.3 (2002): 667-90.
  • Byrne, Paula (2005). Perdita: The Life of Mary Robinson. London: HarperCollins and New York: Random House.
    • ポーラ・バーン『パーディタ メアリ・ロビンソンの生涯』 桑子利男・時実早苗・正岡和恵訳、作品社、2012年
  • Gristwood, Sarah (2005). Perdita: royal mistress, writer, romantic. London: Bantam.
  • Robinson, Mary, and Mary Elizabeth Robinson (1801). Memoirs of the Late Mrs. Robinson. London: Printed by Wilkes and Taylor for R. Phillips.
  • Mary Darby Robinson biography
  • Mary Robinson memoirs

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