ムハンマド (イルハン朝)
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ムハンマド | |
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イルハン朝第11代イル・ハン | |
在位 | 1336年 - 1338年 |
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死去 | 1338年 アゼルバイジャン |
父親 | ヨル・クトルグ |
ムハンマド(ペルシア語:محمد Moḥammad、? - 1338年)は、イルハン朝のハン(在位:1336年 - 1338年)。イルハン朝の創始者フレグの子モンケ・テムルの玄孫に当たる。ヨル・クトルグの子。
生涯
アルパ・ケウン・ハンの死後、ジャライル部の有力者タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)[注釈 1]によって、1336年にハンに擁立された[1]。ムーサをハンに擁するアリー・パーディシャーを破った後、大ハサンに伴われてタブリーズの宮殿に移り住んだ。
1338年7月10日にアゼルバイジャンでシャイフ・ハサン(小ハサン)[注釈 2]と対陣、自軍の将軍ピール・フサイン(チョバンの孫。シャイフ・ハサンの従兄弟)が敵と内通していることに感づいた大ハサンはタブリーズに撤退する。彼は退かずに小ハサンと戦うが敗れ、捕殺された[注釈 3][2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
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