サティ・ベクとは? わかりやすく解説

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サティ・ベク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 08:11 UTC 版)

サティ・ベク
イルハン朝第12代イル・ハン
在位 1338年 - 1339年

配偶者 チョバン
  アルパ・ケウン
  スライマーン (イルハン朝)
子女 ソルカン・シラ (イルハン朝)
王朝 イルハン朝
父親 オルジェイトゥ
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サティ・ベクペルシア語:ستی‌بک Satī-bīk、生没年不詳)は、イルハン朝の第12代君主(イル・ハン)。オルジェイトゥの娘で、アブー・サイードの姉。チョバンアルパ・ケウンスライマーンの妻。

生涯

第8代君主オルジェイトゥ・ハンの娘として生まれる。

1304年、チョバンはアブー・サイードに姉のサティ・ベクを妻として賜るよう懇請して、これを許されたため、9月6日に婚礼を挙行した[1]

1327年、アブー・サイード・ハンがチョバンを殺害することを諸将に命ずると、それを知ったチョバンは挙兵した。しかし、チョバン派のアミールたちが逃亡したのでチョバンも妻子を連れて逃走した。そのとき、妻のケルドチンとサティ・ベクは随行を拒んだため、サティ・ベクはチョバンから離れて息子のソルカン・シラとともにアブー・サイードのもとへ投降した[2]

1335年、アブー・サイード・ハンが薨去すると、アルパ・ケウンが第10代ハンに即位した。サティ・ベクはアルパ・ケウンと結婚した[3]

1338年、チョバンの孫のシャイフ・ハサン(小ハサン)はカイロに投獄された父のティムール・タシュに代わり、彼そっくりのテュルク人を偽ティムール・タシュに仕立て上げ、旧チョバン派の支持を集めて挙兵し、イールカーニー派[注釈 1]タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)、ムハンマド・ハンと対峙した。途中で大ハサンが逃亡したため、ムハンマド・ハンは捕らえられて小ハサンらに殺された[4]。この勝利で勢いづいた偽ティムール・タシュは小ハサンをも殺害しようと考えたため、小ハサンを襲ったがグルジア王国に逃げられた[4]。その後、偽ティムール・タシュはタブリーズを強襲したが大ハサンに破られた[4]。小ハサンはサティ・ベクを新たなハンに擁立し、大ハサンに向かって進軍したが、両者は交渉によって和解し、解散した[5]。しかし、大ハサンはこの和解が持続しないと考え、マーザンダラーンを支配していたトガ・ティムール・ハンに近づいた[6]。それを知った小ハサンはトガ・ティムール・ハンとサティ・ベク・ハンを娶らせることで両者を離間させることを思いつき、両者を離間させ、実際に娶らせなかった[7]。大ハサンはトガ・ティムール・ハンをあきらめてシャー・ジハーン・ティムールをハンに擁立した[8]。一方、小ハサンは女では国政を執ることができないと考え、サティ・ベク・ハンの子のソルカン・シラを殺害し、サティ・ベクを廃位してスライマーンを新たなハンに即位させた[8]。サティ・ベクはスライマーン・ハンと結婚させられた[8]

脚注

注釈

  1. ^ 大ハサンの曾祖父はフレグに仕えたジャライル部の将軍イルゲ(イールカー)・ノヤンだったため、イルカン(イールカーニー)派と呼ばれた。[4]

出典

  1. ^ ドーソン 1979, p. 297.
  2. ^ ドーソン 1979, p. 323.
  3. ^ ドーソン 1979, p. 363.
  4. ^ a b c d ドーソン 1979, p. 370.
  5. ^ ドーソン 1979, p. 371.
  6. ^ ドーソン 1979, p. 376.
  7. ^ ドーソン 1979, p. 373.
  8. ^ a b c ドーソン 1979, p. 374.

参考資料

先代
ムハンマド
イルハン朝のイル・ハン
第12代
1338年 - 1339年
次代
スライマーン



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