トガ・テムルとは? わかりやすく解説

トガ・テムル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 21:01 UTC 版)

トガ・テムル
طغاتیمور
イルハン朝対立イル・ハン
トガ・テムルの貨幣
在位 1337年 - 1353年

死去 1353年
アストラバード付近
王朝 イルハン朝
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トガ・テムルペルシア語: طغاتیمور Togha Temür, ? - 1353年)は、イルハン朝の最後のハン(在位:1337年 - 1353年)。イルハン朝のハンを称した人物の中で最後に没した、イルハン朝の事実上最後のハンである。トガ・ティムールとも表記[1]

生涯

ムハンマド・ハンを擁するイールカーニー派[注釈 1]タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)と敵対する将校アリー・ジャファルは、ホラーサーンの長官アミール・シャイフ・アリー[注釈 2]に大ハサンと対抗するよう説得し、ジョチ・カサルの後裔であるトガ・ティムールをハンに擁立した[3]。彼らはイラークへ進軍し、アリー・パーディシャーが擁立したムーサ・ハンと合流、共同でムハンマド・ハンと大ハサンを打倒することを決定した[3]

1337年7月、マラーガで戦闘になったが、トガ・ティムールは早速逃走してしまう。残されたムーサ・ハンは部下のオイラト部人と一部のホラーサーン人とともに頑強に抵抗したが敗れ、逃走中に捕らえられて処刑された[3]。トガ・ティムールはビスタームまで逃れ、ホラーサーンとマーザンダラーンはトガ・ティムールの支配下に残った[3]

1338年サティ・ベク・ハンが即位すると、チョバン派のシャイフ・ハサン(小ハサン)とイールカーニー派の大ハサンは和解したが、大ハサンはそれに納得がいかず、トガ・ティムール・ハンを承認する策をとり、トガ・ティムール・ハンにイラークへ来るよう勧めた[4]。トガ・ティムール・ハンはアミール・アルグン・シャーとワズィールのアラー・ウッディーン・ムハンマドを伴ってイラークへ赴いた。そこでは行政の節約制度に従い、イラークの納税者を圧迫し、特権と俸給の削減をはかったので、大ハサンを悩ませた[4]。小ハサンは大ハサンとトガ・ティムール・ハンを離間させようとサティ・ベク・ハンとの婚約をちらつかせた。これに応じたトガ・ティムールは大ハサンを攻撃することを小ハサンに書簡で送ったが、小ハサンはその書簡を大ハサンに見せたので、大ハサンとトガ・ティムールの離間は成功し、トガ・ティムールはホラーサーンへと逃走した[5]

1341年、小ハサンが擁立したスライマーン・ハンの領するイラーク・アジャーミーに侵攻し、その長官アミール・ソルカンを自軍に誘い込んだ。しかし、小ハサンの弟のアシュラフによって敗れたため撤退した[6]

1353年、トガ・ティムールがサルバダール部に朝貢を促したため、その王ヤヒヤー・ケラヴィは修好するという名目で部下を連れてトガ・ティムールのオルドに赴いた。トガ・ティムールはアストラーバード付近で宴会を催したが、ヤヒヤー・ケラヴィによって暗殺された。ヤヒヤー・ケラヴィらはトガ・ティムールのオルドを掠奪し、まもなくマーザンダラーン全土を支配した[7]

脚注

注釈

  1. ^ 大ハサンの曾祖父はフレグに仕えたジャライル部の将軍イルゲ(イールカー)・ノヤンだったため、イルカン(イールカーニー)派と呼ばれた。[2]
  2. ^ アリー・クシュジの子

出典

  1. ^ ドーソン 1979.
  2. ^ ドーソン 1979, p. 370.
  3. ^ a b c d ドーソン 1979, p. 368.
  4. ^ a b ドーソン 1979, p. 372.
  5. ^ ドーソン 1979, p. 373.
  6. ^ ドーソン 1979, p. 375-376.
  7. ^ ドーソン 1979, p. 380-381.

参考文献

先代
ムハンマド (イルハン朝)
イルハン朝のイル・ハン
対立
1337年 - 1353年
次代




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