ムアン・シン歴史公園とは? わかりやすく解説

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ムアンシン‐れきしこうえん〔‐レキシコウヱン〕【ムアンシン歴史公園】

読み方:むあんしんれきしこうえん

Muang Sing Historical Parkタイ西部にある歴史公園カンチャナブリー北西40キロメートル、クワイノイ川沿い位置する12世紀末から13世紀初頭にかけてクメール最盛期築いたジャヤバルマン7世の時代に、河川貿易中継地として栄えた集落遺跡がある。仏教寺院、塔門、城壁などが残りクメール遺跡の中で最西端のものとして知られる


ムアンシン歴史公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 04:05 UTC 版)

Mueang Sing
Location in Thailand
基本情報
所在地 Sai Yok
座標 北緯14度2分25秒 東経99度14分29秒 / 北緯14.04028度 東経99.24139度 / 14.04028; 99.24139座標: 北緯14度2分25秒 東経99度14分29秒 / 北緯14.04028度 東経99.24139度 / 14.04028; 99.24139
宗教 ヒンドゥー教
神性 Avalokiteshvara
カーンチャナブリー県
Thailand
建設
形式 Khom
製作者 Jayavarman VII
完成 1180-1219
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ムアンシン歴史公園(ムアンシンれきしこうえん)はタイの歴史公園の一つ。世界でもっとも西に有るクメール遺跡、プラーサートヒン・ムアンシンを保護するために設置された。

概要

ムアンシンは13世紀から14世紀頃にクメール王朝のジャヤーヴァルマン7世の治世に建設が考えられている。ジャヤーヴァルマン7世の息子であるヴィーラクマーン王子の碑文内で23の地名が言及されておりその中にシュリーチャイヤーシンハプラ(獅子の町)という名前が言及されているが、学会では、これとムアンシン(獅子の町)を同一視する意見がある。

ムアンシンの中にはいくつかの建造物や城壁、有力者と見られる人物の墓と骨が見つかっている。ピマーイアンコール遺跡などと比較すると小規模であるが、クメール勢力の最西端を示す遺跡であり、クウェー川流域において文明が存在していた事を示す重要な遺跡である。

この遺跡がクメール人によっていつ見捨てられたのは定かではないが、スコータイ時代やアユタヤ時代の文献に「ムアンシン」の名が登場して居ないことから、タイ族の南下にともなって見捨てられたと推測されている。

建築はバイヨン様式であり、遺跡はレンガで建設されている。中央の城を取り囲む城壁の内北、東、西の城壁は直線であるが、南の城壁のみクウェー川沿いにそって建てられている。遺跡の中央には城があり、その北西部には作りかけの寺院が残っている。どれも損傷が激しい。

脚注

参考文献

関連項目




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