マンハッタンで2番目の幹線、1936年-1937年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 09:24 UTC 版)
「インディペンデント・サブウェイ・システム」の記事における「マンハッタンで2番目の幹線、1936年-1937年」の解説
1936年1月1日、IND6番街線が西4丁目駅でIND8番街線から分岐して、イースト・ブロードウェイ駅まで開通した。建設中に、6番街の路面電車の運行が廃止された。地下鉄の完成後、ニューヨーク市としては路面電車を復旧するかすぐに廃止するかの選択ができた。ニューヨーク市としては、6番街に運行されていた高架鉄道であるIRT6番街線をすぐに撤去したい意向があり、またその地下に地下鉄を建設している間に高架鉄道を支えておく費用を節約したかったこともあり、1250万ドルで高架鉄道を買収した上で1938年12月5日に廃止し、高架鉄道の鋼鉄は日本へ売却された。その2年後の1940年12月15日に地下鉄で普通列車の運行が開始されたが、急行の運転開始はクリスティー・ストリート連絡線が開通した後の1968年になってからであった。
※この「マンハッタンで2番目の幹線、1936年-1937年」の解説は、「インディペンデント・サブウェイ・システム」の解説の一部です。
「マンハッタンで2番目の幹線、1936年-1937年」を含む「インディペンデント・サブウェイ・システム」の記事については、「インディペンデント・サブウェイ・システム」の概要を参照ください。
- マンハッタンで2番目の幹線、1936年-1937年のページへのリンク