マンタナニ島事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 04:21 UTC 版)
林建法は1943年12月29日にタウィタウィ島の米軍から得た武器を持ってアピ沖に戻ったが、郭の蜂起の失敗を知り潜伏していた。1944年2月に日本軍は、林がマンタナニ島に潜伏している、との情報を得て同島へ向かい、ほぼ全ての島民を逮捕した後で島を包囲した。その際に一隊が襲われたため、敵対行為への報復として全島民約80人を殺害した。 また1944年3月頃、日本軍はディナワン島(英語版)で島民50-60人を殺害したとされる。
※この「マンタナニ島事件」の解説は、「アピ事件」の解説の一部です。
「マンタナニ島事件」を含む「アピ事件」の記事については、「アピ事件」の概要を参照ください。
- マンタナニ島事件のページへのリンク