マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)の意味・解説 

マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 06:38 UTC 版)

Мартунинский район
Մարտունու շրջան
Мартуни рајону
マルトゥニ地区
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領内ナゴルノ・カラバフ自治州地区
1930年 - 1991年
 

マルトゥニ地区の位置
政庁所在地 マルトゥニロシア語版
歴史
 - 創立 1930年8月8日
 - 自治州の廃止とともに「ホジャヴェンド県アゼルバイジャン語版」に改称 1991年11月26日
人口
 - 1979 22,742 
現在 法令上 アゼルバイジャン領のホジャヴェンド県であるが、北半分は「マルトゥニ地区ロシア語版」として アルツァフ共和国の実効支配下。南半分は アゼルバイジャン領。

マルトゥニ地区(マルトゥニちく、ロシア語: Мартунинский район, アルメニア語: Մարտունու շրջան, アゼルバイジャン語: Мартуни рајону)はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国ナゴルノ・カラバフ自治州1930年から1991年まで存在した地区

沿革

1930年8月8日に設置[1]1991年の「ナゴルノ・カラバフ共和国」成立に伴いアルメニア人勢力はここをその行政区画マルトゥニ地区ロシア語版」としたが、一方のアゼルバイジャン最高会議 (ru) は同年11月26日の自治州解体に伴いマルトゥニ地区を「ホジャヴェンド県アゼルバイジャン語版」と改称することを決定した (s:az)。2020年の第二次ナゴルノ・カラバフ戦争によりアゼルバイジャン軍が南半分を占領し、占領地はそのままアゼルバイジャン領に復帰した。

人口推移

地区の民族別人口は以下のように推移している[2]

10,000
20,000
30,000
40,000
1939年
1959年
1970年
1979年
  •   総人口
  •   アルメニア人
  •   アゼルバイジャン人
  •   ロシア人

行政区分

1977年の時点で、地区にはマルトゥニ、クラスヌィー・バザールロシア語版の2と38の村、そしてそれらを管轄する2つの集落ソビエトタラシケヴィツァ版と16の村ソビエトが存在した[3]。以下はその一部。

脚注

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)」の関連用語

マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマルトゥニ地区 (ナゴルノ・カラバフ自治州) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS