マリア・テレサ・デ・バリャブリガの肖像 (ノイエ・ピナコテーク)とは? わかりやすく解説

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マリア・テレサ・デ・バリャブリガの肖像 (ノイエ・ピナコテーク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/08 01:28 UTC 版)

『マリア・テレサ・デ・バリャブリガの肖像』
スペイン語: Retrato de Doña Maria Teresa de Vallabriga
英語: Portrait of Doña Maria Teresa of Vallabriga
作者 フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1783年
種類 油彩キャンバス
寸法 151,2 cm × 97,8 cm (595 in × 385 in)
所蔵 ノイエ・ピナコテークミュンヘン

マリア・テレサ・デ・バリャブリガの肖像』(マリア・テレサ・デ・バリャブリガのしょうぞう、西: Retrato de Doña Maria Teresa de Vallabriga, : Portrait of Doña Maria Teresa of Vallabriga)は、スペインロマン主義の巨匠フランシスコ・デ・ゴヤが1783年に制作した肖像画である。油彩。国王フェリペ5世の息子ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ親王と結婚した、下級貴族出身の女性マリア・テレサ・デ・バリャブリガ・イ・ロサスを描いている。現在はミュンヘンノイエ・ピナコテークに所蔵されている[1][2]。また異なるバージョンがマドリードプラド美術館[3][4][5]フィレンツェウフィツィ美術館[6][7]、個人コレクションに所蔵されている[8]

人物

マリア・テレサは1759年にアラゴンの下級貴族で義勇軍騎兵連隊長だったホセ・イグナシオ・デ・バリャブリガ・イ・エスパニョル(José Ignacio de Vallabriga y Español)と、亡命貴族のメルフォート伯爵家の血を引く第4代カステルブランコ女伯爵ホセファ・デ・ロサス・イ・ドラモンド・デ・メルフォルト(Josefa de Rozas y Drummond de Melfort)の娘としてサラゴサに生まれた。ドン・ルイス親王との結婚はマリア・テレサを不遇な境遇に追いやった。彼女の家系は、母方によりスコットランドに由来するステュアート朝までさかのぼることができたが、身分違いの結婚(貴賤結婚)と見なされた。2人は1776年6月27日に結婚したものの、マドリードから離れたアビラ県アレナス・デ・サン・ペドロ英語版に隠遁させられた。ドン・ルイス親王は宮廷を訪れることができたがマリア・テレサにその権利はなく、また子供たちは王室から除外され、ボルボーン姓を名乗ることも許されなかった。さらに夫が1785年8月7日に死去すると国王カルロス3世は子供たちをマリア・テレサから引き離し、トレドサン・クレメンテ修道院英語版に送った。彼女はその後の7年間を孤独に過ごしたのち、1792年に許可を得て、トレドの子供たちを訪ねることなく故郷のサラゴサに移った。状況が好転したのは1797年、娘の1人マリア・テレサと当時の国王カルロス4世夫妻のお気に入りであったマヌエル・デ・ゴドイと結婚によってであった。半島戦争中はマヨルカ島に隠遁し、1814年に故郷に戻ると、そこで残りの人生を過ごした。1820年2月26日に死去[9]

制作経緯

夫のドン・ルイス親王はゴヤの有力な後援者の1人であった。ゴヤは1783年夏から1784年にかけてアレナス・デ・サン・ペドロを訪れ、ドン・ルイス親王とその家族の肖像画を多数制作した。その中でも特に有名な作品がマニャーニ・ロッカ財団英語版に所蔵されている集団肖像画『ドン・ルイス・デ・ボルボーン親王の家族』(La familia del infante don Luis de Borbón)である[10][11]。妻であるマリア・テレサの肖像画も複数制作された。ゴヤが友人のマルティン・サパテール英語版に宛てた1783年9月20日付の手紙によると、本作品はゴヤがアレナス・デ・サン・ペドロにあるモスケラ宮殿スペイン語版に1か月間滞在したときに、親王やその子供たちルイス・マリア英語版、マリア・テレサの肖像画とともに描かれた[2]

作品

ゴヤはマリア・テレサを半身像として描いている。彼女は前かがみの姿勢になり、肘掛け椅子の背もたれに右肘を置いて立ちながら鑑賞者のほうを見つめている。マリア・テレサはレースで縁取られたシルクの黒と赤のドレスと両手に白のロンググローブを身に着けている。髪にはダイヤモンドをあしらった髪飾りを付け、黒い羽根飾りでまとめている。画面左からの光で照らされたマリア・テレサの顔は精密に描かれているが、髪や衣服はより自由な様式で描かれている。アーチ越しの背景にはかすんだ風景が見える[2]

かつてはクリーブランド美術館に所蔵されているアントン・ラファエル・メングスの『ドン・ルイス・デ・ボルボーン親王の肖像』(Retrato del Infante Don Luis de Borbón, 1776年)の対作品と考えられていた[2]

来歴

この肖像画はボアディーリャ・デル・モンテ英語版ドン・ルイス親王宮殿英語版に由来する。後にマリア・テレサの娘の1人マリア・ルイサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガスペイン語版と夫である初代サン・フェルナンド・デ・キロガ公爵英語版ホアキン・ホセ・デ・メルガレホ・イ・サウリン英語版の所有となった。その後、ミュンヘンの個人コレクションに加わった[2]

ギャラリー

関連するゴヤの肖像画

脚注

  1. ^ Doña Maria Teresa da Vallabriga, 1783”. バイエルン州立絵画コレクション英語版公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e María Teresa de Vallabriga”. Fundación Goya en Aragón. 2024年8月23日閲覧。
  3. ^ a b María Teresa de Vallabriga”. プラド美術館公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  4. ^ a b María Teresa de Vallabriga”. プラド美術館公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  5. ^ María Teresa de Vallabriga”. Fundación Goya en Aragón. 2024年8月23日閲覧。
  6. ^ María Teresa de Vallabriga on Horseback (María Teresa de Vallabriga a caballo)”. Fundación Goya en Aragón. 2024年8月23日閲覧。
  7. ^ Portrait of María Teresa de Vallabriga on Horseback”. Web Gallery of Art. 2024年8月23日閲覧。
  8. ^ María Teresa de Vallabriga”. Fundación Goya en Aragón. 2024年8月23日閲覧。
  9. ^ Teresa de Vallabriga y Rozas”. Real Academia de la Historia. 2024年8月23日閲覧。
  10. ^ a b La Famiglia dell’infante don Luis di Goya”. マニャーニ・ロッカ財団英語版公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  11. ^ The Family of the Infante Don Luis (La familia del Infante don Luis)”. Fundación Goya en Aragón. 2024年8月23日閲覧。
  12. ^ María Teresa de Borbón y Vallabriga, later Condesa de Chinchón, 1783”. ナショナル・ギャラリー・オブ・アート公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  13. ^ Goya y su época”. サラゴサ博物館英語版公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  14. ^ The Countess of Chinchon”. プラド美術館公式サイト. 2024年8月23日閲覧。
  15. ^ Retrato do cardeal don Luis Maria de Borbon y Vallabriga, 1798-1800”. サンパウロ美術館公式サイト. 2024年8月23日閲覧。

外部リンク




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