マッティ・ヤルビネンとは? わかりやすく解説

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マッティ・ヤルビネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/03 01:57 UTC 版)

マッティ・ヤルビネン
選手情報
フルネーム Matti Henrikki Järvinen
国籍 フィンランド
種目 やり投
生年月日 (1909-02-18) 1909年2月18日
生誕地 タンペレ
没年月日 (1985-07-22) 1985年7月22日(満76歳没)
死没地 ヘルシンキ
 
獲得メダル
フィンランド
陸上競技
オリンピック
1932 ロサンゼルス 男子 やり投
ヨーロッパ陸上選手権
1934 トリノ 男子 やり投
1938 パリ 男子 やり投
編集 

マッティ・ヤルビネン(Matti Henrikki Järvinen, 1909年2月18日 - 1985年7月22日)は、フィンランド陸上競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの金メダリストである。

経歴

ヤルビネンはスポーツ一家に育ち、父親のヴェルネル・ヤルビネンは1908年ロンドンオリンピックのギリシャ式円盤投の銅メダリスト。兄のアキレス・ヤルビネン十種競技の選手で、1928年アムステルダムオリンピック、1932年ロサンゼルスと2大会連続の銀メダリストである。

ヤルビネン自身も、1930年から1934年までの5年間で10回の世界記録を更新し、「ミスターやり投」と呼ばれていた。男子やり投の世界記録の更新回数で2番目に多い選手は、フィンランドのヨニ・ミューラチェコヤン・ゼレズニーが4回であり、実に倍以上の回数である。

ヤルビネンは、1932年ロサンゼルスオリンピックのやり投に出場。72m71で、金メダルを獲得。ほかの2人のフィンランド人、マッティ・シッパラエイノ・ペンティラとともに表彰台を独占した。

ヤルビネンは1934年の第1回ヨーロッパ選手権でも優勝。4年後の第2回大会も制し連覇を果たしている。しかし、1936年のベルリンオリンピックでは、けがに苦しみ、結果も5位に終わっている。

世界記録

記録 (m) 年月日 場所
71.57 1930年8月8日 ヴィープリ
71.70 1930年8月17日 タンペレ
71.88 1930年8月31日 ヴァーサ
72.93 1930年9月14日 ヴィープリ
74.02 1932年6月27日 トゥルク
74.28 1933年5月25日 ミッケリ
74.61 1933年6月7日 ヴァーサ
76.10 1933年6月15日 ヘルシンキ
76.66 1933年9月7日 トリノ
77.23 1934年6月18日 ヘルシンキ

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