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マッシモ・ムタレッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 07:52 UTC 版)

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マッシモ・ムタレッリ
名前
本名 Massimo Mutarelli
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1978-01-13) 1978年1月13日(43歳)
出身地 コモ
身長 178cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF (CMF)
利き足 右足
ユース
1994-1995 アタランタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 アタランタ 5 (0)
1998-2002 ジェノア 138 (8)
2003-2006 パレルモ 116 (5)
2006-2008 ラツィオ 48 (4)
2009-2011 ボローニャ 33 (1)
2012 アタランタ 13 (0)
1995-2012 通算 353 (18)
代表歴2
1995 イタリア U-17 7 (1)
1995-1996 イタリア U-18 17 (1)
1998 イタリア U-21 1 (0)
監督歴
2014-2015 エンポリ U-17
2015-2016 エンポリ U-19
2017 イタリア U-21(アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年8月22日現在。
2. 2018年8月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マッシモ・ムタレッリMassimo Mutarelli, 1978年1月13日 - )は、イタリアコモ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

アタランタBCプリマヴェーラ出身。1996年4月28日SSラツィオ戦にて18歳でセリエAデビューを果たした。1998年1月31日ジェノアCFCへ移籍。在籍4年半で138試合に出場した。2002年8月1日にはUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍。リーグ戦合計116試合に出場し5得点を挙げた。2006年5月5日、プロデビュー戦の相手でもあるラツィオへ移籍。2006年12月10日ローマダービーではボレーシュートを決め、3-0の勝利に貢献した。

2007-08シーズンデリオ・ロッシ監督やチームメイトとの関係が悪化したが、シーズン終了後もラツィオに残留した。しかし試合に出場することはなく、2009年1月21日ボローニャFCへ完全移籍した。

ボローニャ移籍後はガビ・ムディンガイスティーヴン・アッピアーディエゴ・ペレス等の存在もあってなかなか出場機会に恵まれず、2010-11シーズン終了後に退団した。

その後は無所属が続いていたが、2012年3月20日にユース時代を過ごしたアタランタへ復帰。しかし途中出場1試合のみの出場に留まり、シーズン終了後に退団した。

指導歴

2017年8月4日、ルイジ・ディ・ビアージョ率いるU-21イタリア代表のアシスタントコーチに就任した[1]

タイトル

アタランタ
パレルモ

脚注

  1. ^ Nazionale U-21: confermato il CT Di Biagio, nello staff l’ex rosa Mutarelli”. Mediagol (2017年8月4日). 2018年8月22日閲覧。

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