マグダラのネイピア男爵とは? わかりやすく解説

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マグダラのネイピア男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 07:19 UTC 版)

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マグダラのネイピア男爵

紋章記述

Arms:Gules on a Saltire between two Mural Crowns in plane and as many Lions passant in fess Or a Rose of the field Crest:Upon a Mount Vert a Lion passant Or gorged with a Collar Gules therefrom a Chain reflexed over the back and broken Gold supporting with the sinister forepaw a Flagstaff in bend sinister proper flowing therefrom a Banner Argent charged with a Cross Couped Gules Supporters:Dexter: a Soldier of the Corps of Royal Engineers holding in the exterior hand a Musket all proper; Sinister: a Sikh Sirdar habited and holding in the exterior hand a Matchlock all proper
創設時期 1868年7月17日
創設者 ヴィクトリア
貴族 連合王国貴族
初代 初代男爵ロバート・ネイピア英語版
現所有者 6代男爵ロバート・ネイピア
相続人 ジェームズ・ネイピア閣下
相続資格 初代男爵の嫡出直系男子
付随称号 なし
現況 存続
紋章標語 Tu Vincula Frange
(Break thou the chains)

マグダラのネイピア男爵(英:Baron Napier of Magdala)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。サー・ロバート・ネイピア英語版陸軍元帥が叙されたことに始まる[1]

歴史

初代男爵ロバート・ネイピア

英国陸軍軍人ロバート・ネイピア(1810年 - 1890年)は、イギリス・エチオピア戦争英語版下のマグダラの戦い英語版を指揮して完勝した功により、1868年7月17日連合王国貴族としてアビシニア及びチェスター王権伯領カリントンにおけるマグダラのネイピア男爵 (Baron Napier of Magdala, in Abyssinia and of Caryngton in the County Palatine of Chester) に叙された[1][2]。さらに、1883年には陸軍元帥に昇進したほか、ジブラルタル総督職を務めている[3][4]

なお、大法官府事務次官を務めた官僚サー・アルバート・ネイピア英語版は初代男爵の次男にあたる[2]

その後は長男、次男、異母兄の順で爵位が継承されたほか、これ以降は4代男爵の系統で現在に至っており、現当主である6代男爵はその孫にあたる[2]


爵位にかかるモットーは「汝、その鎖を解き放て(Tu Vincula Frange.)』。これは、マグダラの戦い英語版に臨む初代男爵に対してヴィクトリア女王が督戦した電文の内容に由来する[5][注釈 1]

マグダラのネイピア男爵(1868年)

  • 初代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョージ・コルネリス・ネイピア英語版(1810年 - 1890年)
  • 第2代マグダラのネイピア男爵ロバート・ウィリアム・ネイピア(1845年 - 1921年)
  • 第3代マグダラのネイピア男爵ジェームス・ピアス・ネイピア(1849年 - 1935年)
  • 第4代マグダラのネイピア男爵エドワード・ハーバート・スコット・ネイピア(1861年 - 1948年)
  • 第5代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョン・ネイピア(1904年 - 1987年)
  • 第6代マグダラのネイピア男爵ロバート・アラン・ネイピア(1940年 - )

法定推定相続人は、現当主の息子であるジェームス・ロバート・ネイピア(1966年 - )。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ただし、電文の内容自体は英文で「Break thou the chains.」というものだった[5]

出典

  1. ^ a b No.23400”. The Gazette 14 July 1868. 2019年11月7日閲覧。
  2. ^ a b c Baron Napier (1868)”. cracroft's Peerage. 2019年11月7日閲覧。
  3. ^ No.25183”. The Gazette 29 December 1882. 2019年11月7日閲覧。
  4. ^ Biographical notices of officers of the Royal (Bengal) engineers”. Thackeray, Edward Talbot, Sir,(1900),London : Smith, Elder, & co. 2019年11月7日閲覧。
  5. ^ a b ニーアル・ファーガソン (2018年6月10日). 大英帝国の歴史(上),p=288. 中央公論新社 

関連項目

  • イギリス・エチオピア戦争英語版

マグダラのネイピア男爵(1868年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 07:19 UTC 版)

「マグダラのネイピア男爵」の記事における「マグダラのネイピア男爵(1868年)」の解説

初代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョージ・コルネリス・ネイピア(英語版)(1810年 - 1890年第2代マグダラのネイピア男爵ロバート・ウィリアム・ネイピア(1845年 - 1921年第3代マグダラのネイピア男爵ジェームス・ピアス・ネイピア(1849年 - 1935年) 第4代マグダラのネイピア男爵エドワード・ハーバート・スコット・ネイピア(1861年 - 1948年) 第5代マグダラのネイピア男爵ロバート・ジョン・ネイピア(1904年 - 1987年) 第6代マグダラのネイピア男爵ロバート・アラン・ネイピア(1940年 - ) 法定推定相続人は、現当主の息子であるジェームス・ロバート・ネイピア(1966年 - )。

※この「マグダラのネイピア男爵(1868年)」の解説は、「マグダラのネイピア男爵」の解説の一部です。
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