ポール・ウィリアムズ_(音楽評論家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ポール・ウィリアムズ_(音楽評論家)の意味・解説 

ポール・ウィリアムズ (音楽評論家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 10:17 UTC 版)

ポール・ウィリアムズ(Paul Williams, 1948年5月19日 - 2013年3月27日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト、ライター。フォーク歌手の金延幸子は最初の妻。アンチ・フォークの歌手シンディ・リー・ベリーヒルは、三番目の結婚相手で最後の妻。

略歴

ボストン生まれ。まだ17歳だった1966年に、世界初のロック評論誌『クロウダディ!』を創刊。創刊時、SFファン仲間のデイヴィッド・G・ハートウェルテッド・ホワイトの協力があった[1]。「ロック評論の父」と呼ばれる。

1972年に来日。細野晴臣プロデュースの『み空』で、デビュー前のシンガー金延幸子と知り合い、結婚。二児をもうけるが、のち離婚。

また、SFファンでもあり、生前から親交があったSF作家フィリップ・K・ディックの死後、著作権管理人をつとめた[2]。「フィリップ・K・ディック協会」の機関紙の編集者や、ディック短編全集の編者などをつとめた。他にシオドア・スタージョン短編全集の編者も担当。

1995年の自転車事故で脳挫傷を受け、また、若年性認知症の発症で、フルタイムの介助が必要な状態が続いていた。

2013年3月27日死去。64歳歿。

著書(訳書)

  • 『アウトロー・ブルース』室矢憲治晶文社、1972年
  • 『ニューヨーク・ブルース』真崎義博音楽之友社、1975年
  • ボブ・ディラン ひと粒の砂にさえも』三浦久訳、プレイガイドジャーナル社、1981年11月
  • 『フィリップ・K・ディックの世界 消える現実』小川隆大場正明ペヨトル工房、1991年6月
    • 『フィリップ・K・ディックの世界』小川隆訳、河出書房新社 2017年8月。増訂版
  • 『ダス・エナーギ―精神のエネルギー経済学』春秋社 MOKO (翻訳) 1992年4月
  • 『ボブ・ディラン 瞬間(とき)の轍 <1> 1960-1973』菅野彰子訳 音楽之友社、1992年3月
  • 『ボブ・ディラン 瞬間(とき)の轍 <2> 1974-1986』菅野彰子訳 音楽之友社、1993年4月
  • 『ロックンロール・ベスト100シングル』菅野彰子訳 音楽之友社、1995年4月
  • 『ブライアン・ウィルスン そしてビーチ・ボーイズ』五十嵐正訳、ブルース・インターアクションズ 2000年8月
    • 『ブライアン・ウィルソン&ザ・ビーチ・ボーイズ-消えた『スマイル』を探し求めた40年』 五十嵐正訳、シンコーミュージック・エンタテイメント 2016年5月。新訂版

脚注

  1. ^ 『フリースタイル33』鏡明
  2. ^ 2007年現在は、ディックの3人の子供等が著作権代理人を担当(ポール・M・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』ヴィレッジブックス P.399、444)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ポール・ウィリアムズ_(音楽評論家)」の関連用語

ポール・ウィリアムズ_(音楽評論家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ポール・ウィリアムズ_(音楽評論家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのポール・ウィリアムズ (音楽評論家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS