ホセ・デ・サン・マルティンと南部解放軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 15:24 UTC 版)
「ペルー独立戦争」の記事における「ホセ・デ・サン・マルティンと南部解放軍」の解説
1810年代初頭の反乱鎮圧後、ペルー副王アバスカル(英語版)はチリの愛国派に対して2回の遠征を行った。遠征軍はリマとアレキパの王党派連隊とヨーロッパからの遠征隊から構成された。1814年、最初の遠征によるランカグアの戦い(英語版)の勝利でチリの再征服に成功した。1817年、チャカブコの戦い(英語版)での敗北の後、王政の復旧を目的に1818年にチリの愛国派に対して第2次遠征が行われた。遠征軍はカンチャ・ラヤーダの戦い(英語版)では勝利を収めたものの、マイプーの戦い(英語版)で最終的にホセ・デ・サン・マルティンに敗北する。 ペルーの解放を開始するために、1819年2月5日アルゼンチンとチリはペルー侵攻に備えて条約に調印した。将軍ホセ・デ・サン・マルティンは王党派の牙城となっているペルーに勝利するまでアルゼンチンの解放は磐石でないと考えていた。
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