ヘヴィー・メタル宣言〜解散
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「レイジー」の記事における「ヘヴィー・メタル宣言〜解散」の解説
この頃新たに事務所の紹介でプロデューサーとなった伊集院静からの提案を受けて、1980年7月から始まったツアー『DOMESTIC TOUR IN SUMMER』で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。ただしその代償として、事務所から樋口が解雇されかけるなどの問題も発生し、しまいには「レコーディングにスタッフが誰も来なくなった」ほどに事務所から見放された。その後、シングル『感じてナイト』を経て発売されたアルバム『宇宙船地球号』はハードロック調の曲で統一され、それまでのアイドルバンドとしての彼等のイメージを根底から覆した。 本来ハードロック志向だった彼等にとっての原点回帰となったのが『宇宙船地球号』であり、これが本当のスタートになるかと思われたが、より本格的なヘヴィメタルを追求したかった高崎と田中と樋口、ハードロックより過激なヘヴィメタルという新しい音楽性に付いて行けなくなった影山と井上とのメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになっていった。そのため、景山の20歳の誕生日である1981年2月18日に調布グリーンホールで行われたライブで解散宣言が行われ(その模様はライブ・アルバム『燃えつきた青春』に収録されている)、同年5月31日、正式に解散した。
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