ヘヴェリウスとオーズーの論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:19 UTC 版)
「C/1664 W1」の記事における「ヘヴェリウスとオーズーの論争」の解説
ヘヴェリウスは、自身の観測を2月18日まで記録しているが、その結果はオーズーが2月18日以降に観測した結果と矛盾するものであった。自身の観測が正しいと信じるオーズーは、それを主張する書簡をヘヴェリウスに送ったが、これに対する回答はなかった。一方で、オーズーの観測結果と、カッシーニ、ゴティニーの観測結果を突き合わせると、三者の結果は概ね一致するのに対し、ヘヴェリウスの結果だけが合わず、ヘヴェリウスの観測はいよいよ疑わしくなったが、ヘヴェリウスは同年、著書『彗星序論(Prodromus cometicus)』に2月18日分も含めた観測結果を発表した。これに対し、オーズーだけでなくプティも疑念を呈する書簡をヘヴェリウスに送ったが、ヘヴェリウスは自説を曲げず、翌年の著書『彗星序論 補遺(Mantissa prodromi cometici)』では逆に、オーズーやカッシーニが2月18日以降に観測したものは、別の彗星の見間違いだと主張した。 現在では、オーズーやカッシーニだけでなく、各国で2月から3月に観測された結果を総合し、間違っているのはヘヴェリウスの観測結果であったことが確認されている。ヘヴェリウス以外の観測結果が豊富にあったことが幸いだったが、もしヘヴェリウスの間違いを見抜けなければ、彗星の運動の正しい理解は大幅に遅れたかもしれない。
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