ヘンリー・ストレイチー (初代准男爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ストレイチー (初代准男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/14 00:50 UTC 版)

初代准男爵サーヘンリー・ストレイチー(Sir Henry Strachey, 1st Baronet、1737年5月23日 - 1810年1月3日)は、イギリス官僚政治家

生涯

ストレイチーは、サマセット州のサットン・コート (Sutton Court) の主だった同名の父ヘンリー・ストレイチーと、その最初の妻で、スコットランド人医師ロバート・クラーク (Robert Clerk) の娘であったヘレンとの間に生まれた長男であった。祖父ジョン・ストレイチー (John Strachey) は地率学者であり、同名の曾祖父ジョン・ストレイチーは、ジョン・ロックの友人であった[1]

1762年インドにいたクライブ卿の私設秘書に任じられ、1768年にポンテフラクト選挙区 (Pontefract) から庶民院に選出されるまで、この職に就いていた。1774年までポンテフラクト選挙区選出で議席を占めた後は、1774年から1778年までと1780年から1782年まではビショップス・キャッスル選挙区 (Bishop's Castle) から、1778年から1780年まではソルタッシュ選挙区 (Saltash) から、1802年から1807年まではイースト・グリンステッド選挙区 (East Grinstead) から、それぞれ選出された[1]

ストレイチーは、1778年から1780年まで、兵站補給部長 (Clerk of the Deliveries of the Ordnance)、1780年から1783年までと、1783年には兵站管理部長 (Principal Storekeeper of the Ordnance) を務め、1782年には第二次ロッキンガム侯爵内閣において財務省政務官 (Secretary to the Treasury) のひとりとなり、1782年から1783年にかけては、シェルバーン侯爵内閣において内務省政務官 (Under-Secretary of State for the Home Department) のひとりとなった。1783年には、パリにおけるアメリカ独立戦争の講和に至る和平交渉に、リチャード・オズワルド (Richard Oswald) とともにイギリス側を代表して参加し、アメリカ合衆国を代表したジョン・ジェイジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンらとの交渉に当たった。この交渉の結果、パリ条約が締結された。ストレイチーは、その後、1794年から1810年まで王室内務主事 (Master of the Household) を務めた。

1801年、サマセット州サットン・コートの准男爵に叙爵された[1][2]

ストレイチーは1810年1月に、72歳で死去し、准男爵位は長男のヘンリーが襲爵した[1]

家族

ストレイチーは、1770年に、ジョン・ケンゾル (John Kelsall) のひとり娘ジェーン (Jane) と結婚した。夫妻の間には男子3人と女子1人が生まれた。次男のエドワード・ストレイチーは、ジョン・ストレイチー (John Strachey) やサーリチャード・ストレイチー中将 (Lieutenant-General Sir Richard Strachey) らの父であり、リットン・ストレイチー、ジェームズ・ストレイチー (James Strachey)、オリヴァー・ストレイチー (Oliver Strachey)、ドロシー・バッシー (Dorothy Bussy) らの祖父にあたる。ストレイチーの子孫には、ほかにも自由党の政治家初代ストレイチー男爵エドワード・ストレイチー、ジャーナリストのジョン・ストレイチー (John Strachey)、労働党の政治家ジョン・ストレイチー (John Strachey) らがいる。

ストレイチー准男爵夫人 (Lady Strachey) は、1824年2月12日に死去した[1]

脚注

出典

外部リンク

議会
先代:
William Monckton-Arundell, 2nd Viscount Galway
Sir Rowland Winn, 5th Baronet
ポンテフラクト選挙区選出
William Monckton-Arundell, 2nd Viscount Galway 1768–1772
Henry William Monckton-Arundell, 3rd Viscount Galway 1772–1774
Robert Monckton 1774

1768–1774
次代:
Sir John Goodricke, 5th Baronet
en:Charles Mellish
先代:
George Clive
Alexander Wedderburn
ビショップス・キャッスル選挙区選出
George Clive

1774–1778
次代:
George Clive
Alexander Wedderburn
先代:
Grey Cooper
Sir Charles Whitworth
ソルタッシュ選挙区選出
Grey Cooper

1778–1780
次代:
Grey Cooper
Charles Jenkinson
先代:
Alexander Wedderburn
William Clive
ビショップス・キャッスル選挙区選出
William Clive

1780–1801
次代:
連合王国議会
議会
先代:
グレートブリテン議会
ビショップス・キャッスル選挙区選出
William Clive

1801–1802
次代:
William Clive
John Robinson
先代:
Nathaniel Dance
Charles Ellis
イースト・グリンステッド選挙区選出
Daniel Giles

1802–1807
次代:
Charles Ellis
Richard Wellesley
公職
先代:
Benjamin Langlois
兵站補給部長
1778–1780
次代:
John Kenrick
兵站管理部長
1780–1782
次代:
John Aldridge
先代:
Sir Grey Cooper
John Robinson
財務省政務官
1782
次代:
Thomas Orde
George Rose
先代:
Thomas Orde
内務省政務官
1782–1783
次代:
Hon. George North
先代:
John Aldridge
兵站管理部長
1783–1784
次代:
John Aldridge
宮廷職
先代:
Sir Francis Henry Drake, 5th Baronet
王室内務主事
1794–1810
次代:
William Kenrick
イギリスの準男爵
先代:
新設
准男爵
サットン・コート

1801–1810
次代:
Henry Strachey



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