ヘルマン・トーレスとは? わかりやすく解説

ヘルマン・トーレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 09:40 UTC 版)

ヘルマン・トーレス
基本情報
階級 ライトフライ級
国籍 メキシコ
誕生日 (1957-05-28) 1957年5月28日(67歳)
出身地 メキシコグアナフアト州セラヤ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 80
勝ち 63
KO勝ち 47
敗け 13
引き分け 4
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ヘルマン・トーレスGermán Torres、男性、1957年5月28日 - )は、メキシコプロボクサー。元WBC世界ライトフライ級王者。

日本人女性と結婚し、妻方の姓から大関トーレスを名乗った。長男利幸、二男健文(トーレス・マルティネス・健文)ともにプロボクサーとなった。アルマンド・トーレス(大関一郎)は甥。

来歴

1975年8月27日、プロデビュー。

1979年11月24日、初代メキシコライトフライ級王座を獲得。以後、3度防衛した。

1981年8月16日、WBC世界ライトフライ級王者イラリオ・サパタ パナマ)に挑戦し、0-3の大差判定負けで王座獲得ならず。

1981年10月31日、メキシコライトフライ級王座4度目の防衛戦でアマド・ウルスア メキシコ)と対戦し、判定負けで王座から陥落した。

1982年3月27日、メキシコライトフライ級王座決定戦でフランシスコ・モンティエル( メキシコ)と対戦し、5回KO勝ちで王座に返り咲いた。

1982年6月7日より活動拠点を日本に移し、協栄ジムと契約、リングネーム協栄トーレスとし、日本人を初めとするアジア人と多く対戦した。

1983年9月10日、韓国で行われたWBCライトフライ級王座決定戦で張正九 韓国)と対戦し、10回に2度ダウンを奪われるなどして0-3の判定負けで王座獲得ならず。

1985年4月27日、リングネーム大関トーレスと改め、韓国で王者張正九と再戦し、0-2(114-114、114-115、114-116)の僅差判定負けで王座獲得ならず。

1986年4月13日、韓国で王者張正九と再々戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。

1988年12月11日、韓国で行われたWBC世界ライトフライ級王座決定戦で姜順中( 韓国)と対戦し、3-0の判定勝ち。5度目の挑戦にして世界王座を獲得した。

1989年3月19日、韓国で行われた初防衛戦で挑戦者李烈雨 韓国)と対戦し、9回TKO負けで王座から陥落した。

1991年6月21日、メキシコで行われた試合を最後に3年のブランクを作った。

1994年6月10日、兵庫県姫路市で地元のホープで姫路木下ボクシングジム創始者子息大場貴志との試合で10回判定負けした試合を最後に引退した。

井岡弘樹のトレーナーとして来日し、グリーンツダジムに所属。その後も、日本のジム(オールボクシングジム、大鵬ジム)でトレーナーとして活動。

獲得タイトル

関連項目

外部リンク

空位
前タイトル保持者
張正九
WBC世界ライトフライ級王者

1988年12月11日 - 1989年3月19日

次王者
李烈雨




固有名詞の分類


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