プロイセンの国体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 10:19 UTC 版)
「ブロンベルク条約」の記事における「プロイセンの国体」の解説
ブランデンブルク・スウェーデン間のラビアウ条約により、プロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルムは主権を得ていたが、ブロンベルク条約によりポーランド=リトアニア共和国からも承認された。 しかし、ホーエンツォレルン家の世襲主権が認められたのはプロイセン公国だけであり、エルムラントについてはポーランドへの返還が定められた。ブランデンブルク選帝侯系ホーエンツォレルン家が断絶した場合、プロイセン公国はポーランド王が継承することも定められた。そのため、プロイセン議会(英語版)[要リンク修正]はそれまでのポーランド王に対する宣誓と義務からは解放されるものの、プロイセン公国を継承したポーランド王に対しては条件付きの忠誠を誓わなければならなかった(hommagium eventuale, Eventualhuldigung)。 プロイセン公国内のローマ・カトリック教会はエルムラント司教(英語版)所属に残り続け、その財産と収入を維持して信教の自由も与えられる。
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