フランチェスコ4世 (モデナ公)とは? わかりやすく解説

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フランチェスコ4世 (モデナ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 01:50 UTC 版)

フランチェスコ4世
Francesco IV
モデナ=レッジョ公
オーストリアの金羊毛騎士団の正装をしたフランチェスコ4世
在位 1814年7月15日 - 1846年1月21日

出生 (1779-10-06) 1779年10月6日
ミラノ公国ミラノ
死去 (1846-01-21) 1846年1月21日(66歳没)
モデナ=レッジョ公国モデナ
埋葬 モデナ=レッジョ公国モデナ、聖ヴィンチェンツォ教区教会
配偶者 マリーア・ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア
子女 マリア・テレジア
フランチェスコ5世
フェルディナント・カール
マリア・ベアトリクス
家名 オーストリア=エステ家
父親 オーストリア大公フェルディナント
母親 マリーア・ベアトリーチェ・デステ
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フランチェスコ4世: Francesco IV, 1779年10月6日 - 1846年1月21日)は、モデナ=レッジョ公(在位:1814年 - 1846年)、オーストリア=エステ大公ハンガリー王子およびベーメン王子。全名はドイツ語フランツ・ヨーゼフ・カール・アンブロジウス・シュタニスラウスFranz Joseph Karl Ambrosius Stanislausイタリア語フランチェスコ・ジュゼッペ・カルロ・アンブロージョ・スタニズラオFrancesco Giuseppe Carlo Ambrogio Stanislao)。

概要

モデナ公の相続人に指名されながら即位できなかったオーストリア大公フェルディナントと、その妃でモデナ公エルコレ3世の娘マリーア・ベアトリーチェの間に第五子としてミラノで生まれた。ナポレオンによって滅ぼされる前のモデナ公エルコレ3世の孫にあたる。

フランチェスコ4世はモデナで死去した。遺体はモデナの聖ヴィンチェンツォ教区教会に葬られている。

子女

フランチェスコ4世は1812年6月20日サルデーニャヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の王女マリーア・ベアトリーチェと結婚した。マーリアは姪(姉マリーア・テレーザ王妃の長女)にあたり、2人は非常に近い血縁であったため、ローマ教皇ピウス7世から結婚の際に特免状が出された。

彼女との間には以下の二男二女をもうけた。名前はすべてドイツ語名で記載。

脚注

参考文献

先代
エルコレ3世
モデナ=レッジョ公
1814年 - 1846年
次代
フランチェスコ5世
先代
フェルディナント
オーストリア=エステ大公
1806年 - 1846年
次代
フランチェスコ5世



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