フランケン大公の創設と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/29 16:47 UTC 版)
「フランケン大公」の記事における「フランケン大公の創設と消滅」の解説
フランケン大公は906年頃、カロリング朝の断絶に乗じて在地貴族のコンラート家のコンラート1世がフランケン地方の一円的支配を実現し、創始した。コンラート1世は911年に東フランク王に選出され、弟のエーバーハルト3世に大公位を譲った。918年にコンラート1世が死去すると、貴族達はコンラート1世の遺言に従ってザクセン大公のハインリヒ1世(捕鳥王)を王に選出、エーバーハルト3世もハインリヒ1世に従った。 939年、エーバーハルト3世はハインリヒ1世の息子で王位を継いだオットー1世(大帝)に反旗を翻し、敗死した。オットー大帝はドイツのほぼ中央部にあたるフランケンを重視し、以降フランケン大公を置かなかった。
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