フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル_(映画)とは? わかりやすく解説

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フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 14:42 UTC 版)

フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル
For Me and My Gal
フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル
監督 バスビー・バークレー
原案 ハワード・エメット・ロジャース
製作 アーサー・フリード
出演者 ジュディ・ガーランド
ジーン・ケリー
ジョージ・マーフィ
音楽 ロジャー・イーデンス
ジョージー・ストール
撮影 ウィリアム・ダニエルズ
編集 ベン・ルイス
製作会社 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
配給 ロウズ Inc.
公開
  • 1942年10月21日 (1942-10-21) (ニューヨーク)
上映時間 104分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $841,000[1]
興行収入 $4.4 million[1]
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フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』(For Me and My Gal) は、1942年のアメリカ合衆国ミュージカル映画

バスビー・バークレーが監督を務め、ジュディ・ガーランドジーン・ケリー、ジョージ・マーフィが主演し、マルタ・エゲルト、ベン・ブルーが助演した。ケリーにとって本作がデビュー作となった。

第一次世界大戦中、ヴォードヴィル俳優のハリー・パルマーが自身とジョー・ヘイデンについて執筆した草稿を基に、リチャード・シャーマン、フレッド・F・フィンクルホフ、シド・シルバースが脚本を執筆した。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーアーサー・フリードのチームがプロデュースした。

ストーリー

ヴォードヴィル全盛期、アメリカは第一次世界大戦に参戦間近となる。ヴォードヴィリアンのジョー・ヘイデン(ジュディ・ガーランド)およびハリー・パーマー(ジーン・ケリー)はブロードウェイにあるパレス・シアターでの公演、そして終演後の結婚を約束する。

公演数週間前、ハリーは召集令状を受け取る。出征を遅らせるため、ハリーは故意に手を怪我する。同日、ジョーは医学生の兄弟が戦死したことを知る。

ハリーが意図的に怪我をしたことを知ったジョーはハリーを拒絶し公演を降板する。ハリーは上演を諦めて入隊しようとするが、手が不自由となったため入隊することができない。ハリーはYMCAに参加し、前線隊への慰問に出掛ける。

ハリーと仲間は危険地帯に入り、救護隊が砲撃されるのを未然に防ぐ。ハリーは敵の潜伏部隊の砲台の機関銃を破壊している最中に負傷し、その勇気を称えられる。

戦後、パレス・シアターで祝勝会が行なわれる。ジョーが「ジョニーが凱旋するとき」を歌っていると、観客の中にハリーがいることに気付く。ジョーはハリーのもとに駆け寄り再会し、過去に2人が初めて共演した「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル (曲)英語版」を共に歌う。

キャスト

  • ジョー・ヘイデン:ジュディ・ガーランド
  • ハリー・パーマー:ジーン・ケリー
  • ジミー・K・メトカフ:ジョージ・マーフィ
  • イヴ・ミナード(歌手):マルタ・エゲルト
  • シド・シムズ(ジミーの相棒):ベン・ブルー
  • ウエアリング氏(パレス・シアターの支配人):スティーブン・マクナリー
  • ニューヨーク・パレスのドアマン:ロバート・ホマンズ (クレジット無し)
  • リリー・ダンカン:ルシル・ノーマン (クレジット無し)
  • ジム:エドワード・ペイル・シニア (クレジット無し)
  • ダニー・ヘイデン(ジョーの兄弟):リチャード・クワイン (クレジット無し)
  • フランス人医師:アディソン・リチャーズ (クレジット無し)
  • エディ・ミルトン(劇場エージェント):キーナン・ウィン (クレジット無し)

楽曲

バスビー・バークレーの監督作品であるが、本作ではバークレーの特色である大規模なミュージカル・シーンがない。ボビー・コノリー振付によるヴォードヴィル・シーンが多い[2]

制作

ミッキー・ルーニーと共に子役として活動してきたジュディ・ガーランドは19歳になり、本作で初めて成人女性を演じた[4]。オリジナルの脚本ではハリー・パーマーの役は、ガーランド演じる歌手と、ドラマチックな役柄のダンサーと、女性2人と関わるはずであった。当時MGMのアドバイザーでガーランドの演技指導者であったステラ・アドラーはプロデューサーのアーサー・フリードに、2つの役を合わせてガーランドに演じさせることを提案した。またアドラーはジーン・ケリーが主演することも提案した[5]

当時29歳であったケリーはブロードウェイ・ミュージカルの『Pal Joey』で主演し、『Best Foot Forward』を振り付けるなど舞台で活躍していた[6]。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックはケリーと映画1本出演の契約をし、撮影終了後にケリーはブロードウェイに戻る予定であった。しかしセルズニックはケリーを配役しないまま1年が過ぎた。アーサー・フリードが本作『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』にケリーを出演させてよいか尋ね、セルズニックは契約を譲渡した。MGMのフリードの上司から反対されたが、ケリーは役を得た[5][7]。当初ジョージ・マーフィがハリー・パーマー役を演じる予定であったが、ケリーが出演するにあたり、ケリーがハリー・パーマー役、マーフィがジミー・メトカフを演じることとなった。

ジーン・ケリーとジュディ・ガーランドはうまくいっていた。ガーランドはケリーがハリー役となったことを好ましく思っており、ケリーの舞台演技を映画での演技に合わせようとするのを手伝っていた。さらにガーランドは監督バスビー・バークレーと不仲であり、ケリーを自分の側に引き入れた。ケリーとガーランドは他に『踊る海賊』(1948年)、『サマー・ストック (映画)英語版』(1950年)で共に主演した[8]

またドイツで30本以上の映画に出演していたハンガリーの歌手マルタ・エゲルトのアメリカ映画デビューとなった。しかしエゲルトはアメリカでは2本しか出演することはなかった[9]

1942年4月3日から5月23日、カリフォルニア州カルヴァー・シティにあるMGMのスタジオで制作され、6月に追加シーンが撮影された。予算は$803,000と見積もられている。制作中のタイトルは『Me and My Gal』および『The Big Time』が使用されていた。

プレビュー上映の際、観客はエンディングに満足しなかった。観客はジョー(ガーランド)がハリー(ケリー)ではなくジミー(マーフィ)と結ばれることを望んでいた。ルイス・B・メイヤーは3週間で、ケリーの役柄をより誠実に、マーフィの出番を少なく制作し直すよう命じた[5]

公開

1942年10月21日、ニューヨークでプレミア上映され、11月26日、ロサンゼルスで公開された。アメリカおよびカナダで$2,894,000、その他で$1,477,000の計$4,371,000の興行収入があり、この年最もヒットした作品の1つとなり[5][10]、MGMは$2,098,000の利益を上げた[1]

1988年8月、アメリカ国内でMGM/UAホームビデオよりVHSがリリースされ、2004年4月6日、ワーナー・ホームビデオよりDVDがリリースされた。

受賞歴

ロジャー・イーデンス(編曲)、ジョージー・ストール(音楽監督)がアカデミー作曲賞にノミネートされた[11]。ジーン・ケリーはナショナル・ボード・オブ・レビューから男優賞を受賞した[11][12]

アメリカン・フィルム・インスティチュートより、2004年に「For Me and My Gal」がアメリカ映画主題歌ベスト100にノミネートされ[13]、2006年にミュージカル映画ベストにノミネートされた[14]

脚注

出典

  1. ^ a b c The Eddie Mannix Ledger, Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study .
  2. ^ Hirschhorn, Clive (1991). The Hollywood Musical (2nd ed.). New York: Portland House. p. 211. ISBN 0-517-06035-3 
  3. ^ TCM Music
  4. ^ All Movie Review
  5. ^ a b c d Frank Miller "For Me and My Gal" TCM article
  6. ^ IBDB Gene Kelly
  7. ^ IMDb Biography for Gene Kelly
  8. ^ Garland and Kelly both also appeared in 1946's Ziegfeld Follies, but not together.
  9. ^ IMDb Martha Eggerth
  10. ^ "101 Pix Gross in Millions" Variety 6 Jan 1943 p 58
  11. ^ a b For Me and My Gal - Awards at IMDb
  12. ^ All Movie Awards
  13. ^ AFI's 100 Years...100 Songs Nominees”. 2016年8月13日閲覧。
  14. ^ AFI's Greatest Movie Musicals Nominees”. 2016年8月13日閲覧。

外部リンク


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