フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)の意味・解説 

フィリップ・ハーバート (第4代ペンブルック伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 02:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
フィリップ・ハーバート
Philip Herbert
第4代ペンブルック伯
第4代ペンブルック伯の肖像画(アンソニー・ヴァン・ダイク画)

出生 1584年10月10日
イングランド王国ウィルトシャーウィルトン・ハウス英語版
死去 1650年1月23日(65歳没)
イングランド王国ロンドンホワイトホール宮殿
配偶者 スーザン
  アン英語版
子女 一覧参照
父親 第2代ペンブルック伯ヘンリー・ハーバート英語版
母親 メアリー・シドニー英語版
テンプレートを表示

第4代ペンブルック伯爵・初代モンゴメリー伯爵フィリップ・ハーバート:Philip Herbert, 4th Earl of Pembroke and 1st Earl of Montgomery, KG, KB, PC, 1584年10月10日 - 1650年1月23日[1])は、清教徒革命イングランド内戦)期のイングランドの貴族。イングランド王ジェームズ1世チャールズ1世父子に厚遇されたが、内戦で議会派に属しチャールズ1世ら王党派と対立した。貴族ながら庶民院議員でもあった。

生涯

第2代ペンブルック伯爵ヘンリー・ハーバート英語版とその妻でヘンリー・シドニー英語版の娘メアリー・シドニー英語版の間の次男として生まれる。母方の伯父にフィリップ・シドニーがおり、彼にちなんで名付けられた。また第3代ペンブルック伯ウィリアム・ハーバートは兄で、1623年ウィリアム・シェイクスピアの作品集『ファースト・フォリオ』を編集したジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルから献呈され、兄共々「世に並ぶものなき兄弟」と称えられた[2][3]

エリザベス1世の治世の1600年に宮廷出仕を始めてから早くも話題になったが、ジェームズ1世の治世に入ると美貌と運動に秀でた万能ぶりで注目を集め、ジェームズ1世の寵臣に抜擢された。国王から気前よく恩賞を与えられ、1603年にバス勲章と宮廷私室従者英語版の地位を与えられ、1605年寝室侍従長英語版に任命されたばかりかモンゴメリー伯爵にも叙された。以後も厚遇は続き1608年にガーター勲章を受勲、1615年オックスフォード大学裁判所判事(High Steward)、1617年ウェストミンスター宮殿セント・ジェームズ宮殿の管理官、1624年には枢密顧問官に任じられるまでになった[2][4]

ジェームズ1世の息子チャールズ1世にも気に入られ、翌1625年に兄から宮内長官英語版を引き継ぎ、1630年に亡くなった兄の後を継いでペンブルック伯位も継承した。豊かな教養と文芸を愛好するパトロンとしての姿勢で作家たちから数々の惜しみない称賛を送られたが、傲慢でサウサンプトン伯爵ヘンリー・リズリーなど敵も多かったといわれる。また、兄から爵位と共に受け継いだウィルトシャーソールズベリーにあるウィルトン・ハウス英語版の改築事業を手掛け、兄に雇われていたイニゴー・ジョーンズの弟子アイザック・ド・コーズ英語版に屋敷の南側正面を取り壊して新築、造園も含めた指示を送った。改築期間は1632年から1635年までとされ、庭園はかつてペンブルック伯が旅行に訪れたフランスの庭園様式、特にリュクサンブール宮殿庭園を参考にして作られたとされる[2][5]

しかし、内戦が近付くと議会派を擁護したため、1641年にチャールズ1世により宮内長官を解任され、ノーサンバランド伯アルジャーノン・パーシーホランド伯爵英語版ヘンリー・リッチ英語版と共に議会派へ加わった。翌1642年民兵条例の同意を国王に求めて拒絶される場面もあったが、内戦が始まり序盤の10月に王党派がロンドンへ迫るとノーサンバランド伯共々和平派となり、1645年アクスブリッジで使節の1人として王党派と和平交渉を行ったが成果は無かった。1646年8月にもスコットランド国民盟約盟約派)の捕虜となっていたチャールズ1世の下へ、議会から和平提案を示す使節として派遣されたが拒絶に遭い、1647年に国王を盟約派から引き取る使節として派遣された[2][6]

1649年5月に病気で倒れ寝たきりになり、1650年にロンドンホワイトホール宮殿で65歳で死去[1]。次男フィリップ英語版が爵位を継承した。

子女

1604年オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィアーの娘スーザンと結婚、4男1女を儲けた。

  • アン・ソフィア(? - 1695年) - 初代カーナーヴォン伯爵ロバート・ドーマー英語版と結婚
  • チャールズ(1619年頃 - 1635年) - 初代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズの娘メアリーと結婚、子供なし
  • フィリップ英語版(1621年頃 - 1669年) - 第5代ペンブルック伯
  • ジェームズ英語版(1623年頃 - 1677年) - 庶民院議員
  • ヘンリー - 夭折

スーザンが亡くなると1630年にカンバーランド伯爵ジョージ・クリフォード英語版の娘でドーセット伯爵リチャード・サックヴィル英語版の未亡人でもあったアン英語版と再婚した。この夫婦生活はペンブルック伯が先妻の息子とアンの連れ子イザベラを結婚させようとしたため破局、1637年頃からアンは別居生活を送った[7]。ペンブルック伯とアンの間に子は無かった。

脚注

  1. ^ a b "Herbert, Philip (1584-1650)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  2. ^ a b c d 高橋、P659。
  3. ^ ストロング、P292 - P293。
  4. ^ ストロング、P293。
  5. ^ ストロング、P294 - P295、P314 - P317。
  6. ^ ガードナー、P127 - P128、P168、ウェッジウッド、P10、P63 - P64、P425 - P426、P597、P636。
  7. ^ ストロング、P313 - P314。

参考文献

  • 高橋康也他編『研究社シェイクスピア辞典』研究者出版、2000年。
  • ロイ・ストロング著、圓月勝博・桑木野幸司訳『イングランドのルネサンス庭園』ありな書房、2003年。
  • サミュエル・ローソン・ガードナー英語版著、小野雄一訳『大内乱史Ⅰ:ガーディナーのピューリタン革命史』三省堂書店、2011年。
  • シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド英語版著、瀬原義生訳『イギリス・ピューリタン革命―王の戦争―』文理閣、2015年。
公職
先代:
レノックス公英語版
ケント統監
1624年 - 1646年
空位時代英語版
ケント首席治安判事
1624年 - 1642年
次代:
レスター伯英語版
先代:
バッキンガム公
バッキンガムシャー統監
1628年 - 1641年
次代:
パジェット男爵英語版
議会派
カーナーヴォン伯英語版
王党派
先代:
ペンブルック伯
サマセット統監
1630年 - 1639年
次代:
ハートフォード侯
コーンウォール首席治安判事
1630年 - 1642年
次代:
ラドナー伯英語版/バース伯英語版
ペンブルックシャー首席治安判事
1630年 - 1643年
次代:
カーベリー伯英語版
モンマスシャー首席治安判事
1630年 - 1645年
次代:
ニコラス・ケミーズ英語版
グラモーガン英語版首席治安判事
1630年 - 1645年
次代:
サー・ジョン・オーブリー
コーンウォール統監/ウィルトシャー統監
1630年 - 1646年
空位時代
先代:
ポウィス男爵英語版
モンゴメリーシャー英語版首席治安判事
1641年 - 1643年
次代:
ハーバート・ヴォーン
先代:
ペンブルック伯
宮内長官英語版
1625年 - 1641年
次代:
エセックス伯
スズ鉱山裁判所長官英語版
1630年 - 1642年
空位時代
学職
先代:
ウィリアム・ロード
オックスフォード大学学長英語版
1641年 - 1643年
次代:
ハートフォード侯
先代:
ハートフォード侯
オックスフォード大学学長
1648年 - 1649年
次代:
オリバー・クロムウェル
イングランド議会 (en
先代:
フランシス・パイル英語版
ヘンリー・マーティン
バークシャー選挙区英語版選出庶民院議員
1649年 - 1650年
同職:ヘンリー・マーティン:1646年 - 1653年
次代:
ヘンリー・ネヴィル
ヘンリー・マーティン
イングランドの爵位
爵位創設 モンゴメリー伯爵
1605年 - 1649年
次代:
フィリップ・ハーバート英語版
先代:
ウィリアム・ハーバート
ペンブルック伯爵
1630年 - 1649年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)」の関連用語

フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フィリップ・ハーバート_(第4代ペンブルック伯爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフィリップ・ハーバート (第4代ペンブルック伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS