フアン・カレーニョとは? わかりやすく解説

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フアン・カレーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/09 09:05 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカレーリョ第二姓(母方の)はララです。
フアン・カレーニョ
名前
カタカナ フアン・カレーニョ
ラテン文字 Juan Carreño
基本情報
国籍 メキシコ
生年月日 1909年8月14日
出身地 メキシコシティ
没年月日 (1940-12-16) 1940年12月16日(31歳没)
身長 177cm
選手情報
ポジション FW
代表歴
1928-1934 メキシコ 8 (2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアン・カレーニョ・ララJuan Carreño Lara, 1909年8月14日 - 1940年12月16日)は、メキシコメキシコシティ出身のサッカー選手メキシコ代表草創期の名選手であり、オリンピックFIFAワールドカップの両方において、メキシコ代表初のゴールを挙げた選手として知られる。

経歴

1925年アトランテFCに入団。1928年アムステルダムオリンピックに出場し、初戦のスペイン戦(オリンピスフ・スタディオン)で、0-6で迎えた後半31分に、オリンピックにおけるメキシコ代表の初ゴールを決めた(試合自体は1-7で大敗し、初戦で姿を消した)。1930年FIFAワールドカップ第1回大会のメンバーにも選出され、初戦[1]フランス戦(エスタディオ・ポシトス)で、0-3で迎えた後半25分に、W杯におけるメキシコ代表の初ゴールを決めた(試合自体は1-4で敗れた)。1934年W杯予選メンバーにも選ばれたが、無得点に終わり、チームもアメリカとの最終試合(グループ11)に2-4で敗れ、1934年イタリア大会出場は成らなかった。これが最後の代表招集となり、代表通算成績は8試合2得点という記録を残している。

クラブでは、1931-1932シーズンのプリメーラ・フエルサ制覇に貢献し、1932年1933年と2年連続して得点王に輝いた。1933-1934シーズンにはレアル・クルブ・エスパーニャに移籍し、同シーズンのプリメーラ・フエルサ制覇に貢献した。翌1934-1935シーズンにはアトランテFCに戻り、通算13シーズンもアトランテに在籍して活躍した。

しかし虫垂炎に罹り、1940年12月16日に31歳で急死した。早過ぎる死にメキシコ国内はもとより、世界中から死を惜しむ声が相次いだと伝わる。

所属クラブ

  • 1927-1933 アトランテFC
  • 1933-1934 レアル・クルブ・エスパーニャ
  • 1934-1940 アトランテFC

タイトル

個人

チーム

  • アトランテFC
    • プリメーラ・フエルサ 1931-1932
  • レアル・クルブ・エスパーニャ
    • プリメーラ・フエルサ 1933-1934

脚注

  1. ^ FIFAワールドカップとしても同時刻に行われたアメリカvsベルギー戦と並んで、第1試合目だった。

出典




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