ファーブルの知名度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:05 UTC 版)
「ジャン・アンリ・ファーブル」の記事における「ファーブルの知名度」の解説
アヴィニョンには現在ファーブルの功績を称えて、Rue Henri Fabre(アンリ・ファーブル通り)と名のついた道があるほか、パリにも蚤の市で有名なクリニャンクール(Clignancourt)に Rue Jean-Henri Fabre 通りがある。だが、皮肉なことにそれら道を行き交うほとんどの人が、「アンリ・ファーブル」が誰であるか知らないと言われている[要出典]。さらに、ほとんどのフランス人はファーブルが何者であるかを知らない、とも言われている[誰によって?]。 ファーブルの生地であるサン・レオンにもファーブルの功績を称えて銅像が立てられた。第二次世界大戦時に進駐してきたナチス・ドイツによって、武器の材料として接収されたが、その後レジスタンスによって奪還されて地中に秘匿され、今は彼の生家の庭にたたずんでいる。 なお、日本、韓国、中国、ロシアなどではファーブルの『昆虫記』を題材にした子供用の本が発行されていて、読まれ、彼の名は一般大衆に広く知られている。しかし、フランス、ドイツ、英米などではそういった本はなく、彼の名はそれほどよく知られていない。日本語ではなぜ「アンリ・ファーブル」と呼ばれるようになったかは不明。[要出典]
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