パープル・レイン (曲)
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「パープル・レイン」 | ||||||||
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プリンス&ザ・レヴォリューション の シングル | ||||||||
初出アルバム『パープル・レイン』 | ||||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・レコード、12インチ・レコード、カセットシングル | |||||||
録音 | 1983年8月3日 | |||||||
ジャンル | R&B、ロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | ワーナー・ブラザース・レコード | |||||||
作詞・作曲 | プリンス | |||||||
プロデュース | プリンス・アンド・ザ・レボリューション | |||||||
ゴールドディスク | ||||||||
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チャート最高順位 | ||||||||
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プリンス シングル 年表 | ||||||||
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「パープル・レイン」(Purple Rain)はプリンス&ザ・レヴォリューションの楽曲である。
解説
『パープル・レイン』からの3枚目のシングル。1894年のアカデミー作曲賞を受賞している。2021年版『ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」』で21位となっている[1]。
初回の7インチシングルはパープルカラーディスクである。
制作
1982年12月、シンシナティのリバーフロント・コロシアム公演のサウンドチェック中、プリンスは新曲のバラードのコードをバンド・メンバーに聞かせる。ウェンディは「プリンスが現れたのよ、あのアイデアを持ってね。彼ははっきり言ったわ。『僕はこいつを形にしたい。これじゃなきゃだめだし、このテンポでなくちゃいけない』。そしてあるキーを弾いたから、皆がジャムを始めて、そこからオープニングのコード進行が生まれていった。すごく自然にね」。これが、後に本作となる作品である。ただし歌詞が出来て、曲名が決まり、それを映画のタイトルにするというアイデアが生まれるのは、何ヵ月も先のことになる[2]。
また『1999ツアー』でボブ・シーガーと共演したことも、この曲の成立にかかわっている[3]。
題名の「パープル・レイン」は、青空が血に染まる、要するに世界の終末を意味しており[注釈 2]歌詞も親しい人と世界を終わりにしたい思いを歌っている。これを映画『プリンス/パープル・レイン』ということを考えると映画の主人公であるキッドの人生に登場する、彼の両親、アポロニア、そして彼のバンド・メイトといった人々について歌っている。またプリンスは紫が1番好きな色で、この曲を作る前に「Purple Music」や「Purple Shades」という曲を作っている[4]
この曲の歌詞をプリンスはスティーヴィー・ニックスに依頼していた[注釈 3]が、彼女が本作を聞いて自身が無くなってしまい断ったということである。また曲のもともとの長さは11分程であり、金をテーマにした歌詞が不適切と判断して、その部分をカットしたからだと考えられる。
本作は、1983年8月3日にミネアポリスのナイトクラブ「ファースト・ アベニュー」で行われた「ミネソタ・ダンス・シアター」のためのチャリティー・コンサートの間にレコーディングされた。この時にウェンディ&リサのウェンディ[注釈 4]がザ・レヴォリューションの一員として初めてこの曲を披露した。
またプリンスは本作がジャーニーの曲である「時への誓い」と似すぎているように聞こえるのではないかと、ひどく心配していたので、ジョナサン・ケインに電話をして彼にどう思うかとたずねた。ジョナサン・ケインのOKが出たのは、本曲と似ていたのは2、3コーラスだけだったからである[5]。
ウェンディとリサによれば、ある日ホームレスの女性が倉庫にふらりと入ってきて、本作の演奏を何時間も聞いていた。休憩になった時、外を見ると彼女はまだそこにいて涙を流していたという[6]。
収録曲
12インチシングル
- パープル・レイン - Purple Rain (Prince)
- ゴッド(インストゥルメンタル) - God (instrumental ) (Prince)
- ゴッド(ボーカル) - God (vocal) (Prince)
7インチシングル
- パープル・レイン - Purple Rain [注釈 5](Prince)
- ゴッド - God (Prince)
カバー
- エリック・クラプトン- 2019年にロイヤル・アルバート・ホールでのライブでカバー[7]
- ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド-2016年に バークレイズ・センターでのライブでカバー[8][9]
- アダム・レヴィーン-2014年、 ハワード・スターンの誕生日パーティーでカバー[10]
脚注
注釈
- ^ このとき、全米チャートで1位をとっていたのはワム!の「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」だったという。
- ^ この表現は「1999」でも使われている
- ^ プリンスは、いつか一緒に曲を作りましょうとスティーヴィー・ニックスから誘われていた。
- ^ 彼女は実はこの曲のイントロを書いている。
- ^ 短縮版
出典
- ^ “ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)”. Rolling Stone Japan (2021年9月16日). 2025年3月22日閲覧。
- ^ “『プリンスとパープル・レイン 音楽と映画を融合させた歴史的名盤の舞台裏 』刊行記念特集 | Special”. Billboard JAPAN. 2025年2月15日閲覧。
- ^ Stone, Rolling (2024年2月16日). “The 500 Greatest Songs of All Time” (英語). Rolling Stone. 2025年2月15日閲覧。
- ^ 『プリンスとパープル・レイン』株式会社ディスクユニオン、2017年4月1日、89、90頁。ISBN 9784907583460。
- ^ “プリンスの『パープル・レイン』、あなたが知らないかもしれない20のトリビア | NME Japan” (jp). nme-jp.com. 2025年2月15日閲覧。
- ^ “1984年7月27日、映画『パープル・レイン』全米公開。そのタイトル曲の秘話とは? | NEWS”. MUSIC LIFE CLUB. 2025年2月15日閲覧。
- ^ “エリック・クラプトン、最新ライブでプリンス“Purple Rain”をカバー&“ケ・セラ・セラ”を演奏しドリス・デイを追悼-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/186260”. rockinon.com. 2025年3月26日閲覧。
- ^ “ブルース・スプリングスティーン、プリンスの“Purple Rain”カヴァーの公式映像が公開に | NME Japan” (jp). nme-jp.com. 2025年3月26日閲覧。
- ^ “ボスとプリンスの関係:プリンス追悼「パープル・レイン」最新映像&『ボーン・イン・ザ・USA』と『パープル・レイン』の全米チャート・ヒストリーなど”. 2025年3月26日閲覧。
- ^ “アダム・レヴィーンによるプリンス「パープル・レイン」カバー映像発掘 | Daily News”. Billboard JAPAN. 2025年3月26日閲覧。
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