パーシー・ヒース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/02 23:48 UTC 版)
| パーシー・ヒース Percy Heath |
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パーシー・ヒース(1977年)
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| 基本情報 | |
| 生誕 | 1923年4月30日 |
| 出身地 | |
| 死没 | 2005年4月28日(81歳没) |
| ジャンル | ジャズ |
| 職業 | ベーシスト |
| 担当楽器 | ウッドベース |
パーシー・ヒース(Percy Heath、1923年4月30日[1] - 2005年4月28日)[2]は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身のジャズのベース奏者。テナー・サクソフォーン奏者のジミー・ヒース[3]、ドラマーのアルバート・ヒースは兄弟である。
略歴
ノースカロライナ州ウィルミントンに生まれ、幼少期をペンシルベニア州フィラデルフィアで過ごす[1]。父はクラリネット奏者、母は教会の合唱隊に所属していた。8歳でヴァイオリンを始める。1944年には軍隊に入隊する[2]。除隊後、グラノフ音楽学校 (Granoff School of Music)に入学し[2]、まもなくジャズクラブで演奏を始める[1]。
1940年代後半にニューヨークに移り住むと、パーシーと弟のジミー・ヒースはディジー・ガレスピーのビッグバンドに参加する。このビッグバンドのメンバー、ジョン・ルイス、ケニー・クラーク、ミルト・ジャクソン、レイ・ブラウンが後にモダン・ジャズ・カルテット (MJQ)として知られるグループを結成する。[1]1950年から1952年に、パーシーとジミーはディジー・ガレスピーのセクステットで活動した。[4]1952年にレイ・ブラウンがMJQを抜けると、代わりにパーシー・ヒースがベーシストとして加入。パーシー・ヒースはそれ以来、1993年のMJQによる最後のレコーディングまでMJQのベーシストとして活動した。
1975年に、兄弟のジミー・ヒース、アルバート・ヒース、ピアニストのスタンリー・カウエルとともにザ・ヒース・ブラザーズを結成、活動する[1]。
2003年には、初のリーダー作『A Love Song』を録音する[2][5]。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
- A Love Song (2003年) ※with ジェブ・パットン、ピーター・ワシントン、アルバート・ヒース
モダン・ジャズ・カルテット
脚注
- ^ a b c d e Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Who's Who of Jazz (First ed.). Guinness Publishing. p. 196. ISBN 0-85112-580-8
- ^ a b c d e “Percy Heath | Biography & History”. AllMusic. 2021年7月28日閲覧。
- ^ ジミーの息子が、ジェームズ・エムトゥーメイである
- ^ Percy Heath bluenote.com 2025年10月3日閲覧
- ^ “A Love Song - Percy Heath | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 2021年7月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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