パリ条約(1783年)とは? わかりやすく解説

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パリ条約 (1783年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 09:38 UTC 版)

パリ条約
ベンジャミン・ウエストが描いた、使節団の絵画。
この絵は自国の敗北を恥じたイギリス使節団がポーズを拒否したため、未完成となっている。
署名 1783年
署名場所 パリ
締約国 アメリカ合衆国
グレートブリテン王国
主な内容

アメリカ独立戦争の講和条約

  1. イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認
  2. ミシシッピ川より東がアメリカ領に
関連条約 ヴェルサイユ条約 (1783年)
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パリ条約(パリじょうやく、: Treaty of Paris, : Traité de Paris)は、1783年アメリカ独立戦争を終結させた講和条約の1つ。アメリカ合衆国イギリスの間で結ばれた。

概要

イギリスアメリカの独立を承認し、ミシシッピ川より東をアメリカ領とした。なお、アメリカに与したスペインおよびフランスとの間にはヴェルサイユ条約が結ばれた。 この使節団にはジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンジョン・ジェイヘンリー・ローレンスがいた。

この戦争によってイギリスのヘゲモニーは制限されたが、イギリスの世界戦略に影響を及ぼすことも無く、勢力は維持された。逆にフランスは、北米植民地戦争の借りを返すことに成功したが、国家財政は底を突き、困窮を極めた。一方アメリカ大陸では、アメリカ独立戦争、フランス革命の連鎖により、中米南米でも独立の機運が高まって行く。

1784年のパリ条約

1783年にはイギリス、フランス、スペイン、アメリカの間で和平が成立したが、イギリスとオランダの間の第四次英蘭戦争は翌年5月20日のパリ条約締結まで続いた。オランダは敗北を認め、ナーガパッティナムをイギリスに割譲した。

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