ハリコフ解放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:13 UTC 版)
一方ミウス戦線では105万人にまで増強された南西方面軍と南部方面軍が攻勢を再開し、第6軍と第1装甲軍は分断された。3週間前にミウス戦線を安定させるために投入されたSS装甲軍団は、北翼で激戦中であり、マンシュタインのてもとには投入可能な機動予備が存在しなかった。マンシュタインは戦線の縮小を決断し、ヒトラーに無断でハリコフを放棄、ドネツ盆地からの撤退を求めた。8月23日、ソ連軍はハリコフを奪還し南方軍集団北翼は南方三〇キロのメレファまで後退を余儀なくされた。
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