ノダル・アサティアニとは? わかりやすく解説

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ノダル・アサティアニ

(ノダル・アサティアーニ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 02:55 UTC 版)

ノダル・アサティアニ
生誕 1931年1月8日 
トビリシ 
死没 2013年3月14日  (82歳)
出身校
職業 歴史家 
受賞
  • 名誉勲章
  • イヴァネ・ジャヴァヒシヴィリ章 

ノダル・アサティアニグルジア語: ნოდარ ასათიანიグルジア語ラテン翻字: Nodar Asatiani1931年1月8日2013年3月14日[1])は、ジョージア歴史学者。中世ジョージアを専門とする。フランス語英語に翻訳された著作もある。

生涯

1931年にトビリシで誕生。父親のショタ・アサティアニはソビエト連邦文化省の元職員であり、第二次世界大戦中の1941年に兵士として前線に送られ、スターリングラード攻防戦中に消息を絶った。父親の失踪後、ノダル・アサティアニは母親と祖父によって育てられた。ノダル・アサティアニは1949年にトビリシ鉄道第一中等学校を優秀な成績で卒業し[2]、同年にトビリシ国立大学歴史学部のジョージア歴史学科に入学した。1954年、アサティアニは歴史学部を優秀な成績で卒業し[2]、大学院に進んだ。1960年、ジョージア国立科学アカデミー英語版会員ニコロズ・ベルゼニシヴィリ英語版の指導の下、準博士論文『17世紀から18世紀のカヘティの農民』で審査を通過した。1990年には『16世紀から18世紀のカヘティ王国』で歴史学博士号を取得、1991年に教授の称号を授与された[2]

1957年以降、アサティアニはトビリシ国立大学のジョージア歴史学科で准教授、教授、学科長を務めている。アサティアニは1959年からジョージア封建制の専門家として教鞭をとった。

1976年に歴史学部の学部長に選出され、1987年まで学部長を務めた。アサティアニの管理の下、トビリシ大学の歴史学部はジョージア研究グルジア語版の教育を強化した新しいカリキュラムを導入した。アサティアニは1988年から1992年にかけて百科事典『サカルトヴェログルジア語版』のジョージア史部門で科学編集局長を務め、1993年から顧問となった。またアサティアニは1991年、イリア・チャヴチャヴァゼ国立外国語教育大学グルジア語版のジョージア歴史地理学科長に就任した。

ノダル・アサティアニはジョージアにおいて尊敬される歴史学者であり続け、多数の著書や教科書を執筆した。アサティアニは封建制ジョージアにおける社会、経済、政治の歴史、ジョージアの対外関係と政治関係を研究し、ジョージアの歴史に関する大学の教科書の作成にも参加した。アサティアニの著作には英語フランス語ロシア語アルメニア語アゼルバイジャン語に翻訳されたものもある。アサティアニは2000年から2004年にかけて、雑誌『歴史研究』の編集長を務めた。2000年に名誉勲章とイヴァネ・ジャヴァヒシヴィリ章を受章[1]

主な著作

ノダル・アサティアニの著作は80冊を超える。主な著作は次の通り。

参考文献

注釈

  1. ^ a b ნოდარ ასათიანი (1931-2013)”. 2021年2月21日閲覧。
  2. ^ a b c ნოდარ ასათიანი”. 2025年3月1日閲覧。

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