ニール号の乗員乗客
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 23:21 UTC 版)
「ニール号遭難事故」の記事における「ニール号の乗員乗客」の解説
ニール号には船長以下60人のフランス人乗員と、21人の中国人乗員、パン職人1人、乗客8人、計90人が乗っていた。この内、入間の海岸に泳ぎ着いた1人と、隣の妻良村海岸にボートで着いた3人の計4人だけが助かった。助かったのは皆フランス人で、水夫2人、パン職人1人、乗客1人だった。 たった1人乗っていた日本人旅客は、京都の西陣織職工、吉田忠七であった。彼は佐倉常七、井上伊兵衛と共にフランスのリヨンで織物技術を学び、佐倉と井上は先に帰国、吉田は後にニール号の船客となり、遭難した。 犠牲者のうちフランス人と中国人計31人は後に遺体が浜に打ち上げられ、入間の海蔵寺墓地に埋葬され十字架が建てられた。生存者の保護と犠牲者遺体の収容に際しては、入間、妻良両村の住民がこれに当り、フランス公使が謝意を示した。生存者保護の中心となったのが当時の入間村の外岡戸長であり、外岡家に伝わる『加美家沿革誌』に詳細が記されている。
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