ニコライ・シフェルブラットとは? わかりやすく解説

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ニコライ・シフェルブラット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 14:53 UTC 版)

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ニコライ・シフェルブラット
生誕 1886年[1][2]または1887年
出身地 ロシア帝国ヴィリナ
死没 (1936-10-14) 1936年10月14日(49歳没)
日本東京府東京市品川区五反田五丁目[1]
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

ニコライ・シフェルブラット(Nicolai Schifferblat, ロシア語: Николай Шиферблат; 1887年 – 1936年10月14日)は、ロシア指揮者ヴァイオリン奏者。近衛秀麿とともに、新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)の指揮者を務めた。

生涯

ヴィリニュス(現在はリトアニア共和国の首都)出身。1906年、チフリス(現在はグルジアの首都トビリシ)音楽学校を卒業。その後、ドイツに留学してドレスデンヘンリ・ペトリドイツ語版に、帰国後、サンクトペテルブルク音楽院レオポルト・アウアーにヴァイオリンを師事した。音楽院卒業後、露都ナロードヌイ・ドーム管弦楽団のコンサートマスター、モスクワ交響楽団の独奏者兼コンサートマスターを務めた[1][2]

1925年に、日本東京で開催された「日露交歓交響管弦楽大演奏会」にロシア側のメンバーとして参加し、首席コンサートマスターを務めた。なお、後にシフェルブラットの前任者として、新交響楽団の指揮者となるヨゼフ・ケーニヒも、次席コンサートマスターとして参加していた。

帰国後、モスクワ交響楽団の独奏者兼首席ヴァイオリニストに就任した。

1929年7月に新交響楽団(後のNHK交響楽団)の指揮者として招聘され再度来日。ヨゼフ・ケーニヒの後を継いで、1936年7月までその任を務めたが、1936年10月に喘息の発作のため東京五反田の自宅で急死した[1]

1937年3月には、新交響楽団が、後任のヨーゼフ・ローゼンシュトックの指揮でシフェルブラット追悼演奏会を行った。

脚注

参考文献

先代:
ヨゼフ・ケーニヒ
新交響楽団指揮者
1929年 - 1936年
次代:
ヨーゼフ・ローゼンシュトック



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