ナカジマ会館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 23:45 UTC 版)
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本社・ナカジマ会館ビル
(中央、野村證券の看板がある建物) |
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒380-0825 長野県長野市末広町1361番地[2][3] 北緯36度38分39.0秒 東経138度11分14.5秒 / 北緯36.644167度 東経138.187361度座標: 北緯36度38分39.0秒 東経138度11分14.5秒 / 北緯36.644167度 東経138.187361度 |
設立 | 1949年8月1日[4] |
業種 | 不動産業[3] |
法人番号 | 4100001002568 |
代表者 | 代表取締役 中島克文[3] |
資本金 | 99,900,000円[3] |
関係する人物 | 中島孝助(創業者)[4] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
特記事項:1888年「中島屋旅館」創業、1892年「中島屋弁当店」創立、1949年「株式会社中島弁当店」設立、1961年現社名[3]。 |
株式会社ナカジマ会館(ナカジマかいかん)は、長野県長野市末広町に所在する企業[2]。
歴史
1888年(明治21年)、「中島屋旅館」創業[3](中島屋旅館駅前支店、初代・中島孝助)[4]。長野駅開業と同時に駅構内で弁当の立ち売りを始める。経木の弁当箱に飯を詰めた駅弁が主体であった[5]。1892年(明治25)、「中島屋弁当店」を創立し独立。1949年(昭和24年)、「株式会社中島弁当店」を設立した[3]。1959年(昭和34)「株式会社ナカジマ」を経て、1961年(昭和36)に現社名となる[4]。
戦後間もなくして鉄道局長から蕎麦の販売を提案され、1950年(昭和25年)に日本国有鉄道(国鉄)の承認をもって長野駅のプラットホーム・待合室に立ち食いそば店を開店した。旅行客や地元住民に親しまれてきたが[5]、2007年(平成19年)に閉店し[6]、さらに駅弁事業からも撤退[4]。長野駅前にある「ナカジマ会館ビル」の不動産業に集中することとなった。現在ある長野駅ビルMIDORIの立ち食いそば店舗は2015年(平成27年)に再開したものである[5]。天たまそば、きつねわかめそば、信州きのこそばといった温かい蕎麦が人気メニューである[6]。
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信州そば ナカジマ会館店舗
所有物件
ナカジマ会館ビル
長野駅から徒歩3分間、長野県長野市末広町1361にあるオフィスビル。鉄骨鉄筋コンクリート構造 (SRC) で地上7階、地下1階建て。1989年(平成元年)11月建築[7]。 ナカジマ会館の会社所在地で[3]、野村證券長野支店が入所する[8]。
関連会社
- 株式会社ナカジマ亭 - 系列会社。2005年(平成17年)7月1日、「ナカジマ製菓株式会社」より改称[4]。
- 有限会社ナカジマ一茶亭(ナカジマいっさてい、長野県長野市大字中御所111番地21、法人番号:6100002007003)[9] - 2005年(平成17年)7月20日、系列会社として設立[4]。2019年(令和元年)9月24日付けで登記閉鎖[9]。
関連書籍
脚注
- ^ “アクセス”. ナカジマ会館. 2025年5月25日閲覧。
- ^ a b “株式会社ナカジマ会館の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁 (2019年2月14日). 2025年5月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “会社概要”. ナカジマ会館. 2025年5月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g “沿革”. ナカジマ会館. 2025年5月24日閲覧。
- ^ a b c 青田海 (2025年1月19日). “今どき「390円の天ぷらそば」ってマジ!? 駅ナカから復活開業した老舗駅そば 歴史は駅とともに”. 乗りものニュース (メディア・ヴァーグ) 2025年5月24日閲覧。
- ^ a b “【長野市】長野駅で昔から親しまれている、どこか懐かしい定番の駅そば、「ナカジマ会館」へ行ってきました!”. 号外NET長野 (本氣メディア). (2021年11月16日) 2025年5月24日閲覧。
- ^ “ナカジマ会館ビル”. オフィスナビ. 2025年5月24日閲覧。
- ^ “長野支店”. 野村證券. 2025年5月24日閲覧。
- ^ a b “有限会社ナカジマ一茶亭の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁 (2019年9月27日). 2025年5月24日閲覧。
- ^ “蔵書検索詳細 幾星霜 ナカジマ会館のあゆみ”. 八十二文化財団. 2025年5月24日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
- ナカジマ会館のページへのリンク