ド・バラ家から王領へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:28 UTC 版)
「アルスター伯爵」の記事における「ド・バラ家から王領へ」の解説
ド・バラ家(英語版)の紋章はアルスターの旗(英語版)に採用されたが、アルスター伯爵の爵位は女系継承が繰り返されたためド・バラ家を離れ、やがて王領に統合された。3代伯爵ウィリアム・ドン・ド・バラ(英語版)(1212-1233)が20歳で殺害された後(これがきっかけとなってバーク内戦(英語版)が勃発)、1人娘エリザベス(英語版)(1332-1363)は4代伯爵になり、イングランド王エドワード3世(1312-1377)の息子ライオネル・オブ・アントワープ(1338-1368)と結婚したためライオネルは妻の権利によりアルスター伯爵の爵位を保有した。2人の1人娘フィリッパ(1355-1382)は5代伯爵になり、フィリッパの夫エドマンド・モーティマー(1352-1381)は妻の権利によりアルスター伯爵の爵位を保有した。 7代伯爵エドマンド・モーティマー(1391-1425)の死後、アルスター伯爵の爵位と領地は姉アン・モーティマー(1390-1411)の息子リチャード・オブ・ヨーク(1411-1460)が継承した。薔薇戦争でヨーク家が勝利すると、リチャードの息子にあたる9代伯爵エドワード・オブ・ヨーク(1442-1483)は1461年にエドワード4世としてイングランド王に即位、アルスター伯爵の爵位は王領に統合された。以降アルスター伯爵はもっぱらイギリスの王族の爵位として創設された。
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