ドルフース暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 16:08 UTC 版)
1934年7月25日、オーストリア・ナチスは首相官邸を襲撃してドルフース首相を殺害し、親ナチス派アントン・リンテレン(ドイツ語版)元文相の組閣を要求するクーデターを起こした。このクーデターはヴィルヘルム・ミクラス大統領から全権を委任されたクルト・シュシュニック教育相に鎮圧された。オーストリア国内にはナチスへの嫌悪感が高まり、却って今まで国内に存在していた「ドイツとの合併」論を吹き飛ばしてしまった。また事件が発生した直後、イタリアは国境地帯に4個師団を集結させており、ドイツの介入を牽制した。ムッソリーニのヒトラーに対する心証も悪化し、ヒトラーを口を極めて罵っている。ヒトラー自身はこのクーデター計画を知らされておらず、オーストリア・ナチスの指導者であったテオドール・ハビヒト(ドイツ語版)を解任し、首相経験者でカトリック教徒でもあったフランツ・フォン・パーペン副首相をオーストリア公使に任命し、事態の収拾に当たった。
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