ドフィネ広場(1607年)とヴェール=ガラン広場(1884年)
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「パリの公園と庭園の歴史」の記事における「ドフィネ広場(1607年)とヴェール=ガラン広場(1884年)」の解説
ドフィネ広場は、 ヘンリー4世の命令により建てられた、ロワイヤル広場に次いで2番目に計画された住宅広場。シテ島の南端、古い王宮の庭の場所にあり、将来のルイ13世王にちなんで名付けられ、1606年に完成したポンヌフ橋に触れるポイントで、三角形の形に建てられた。馬に乗ったヘンリー4世の像が1614年の未亡人マリー・ド・メディチの提案による広場で元の像はフランス革命中に破壊されたが、1821年に新しい像に置き換えられた。 橋の建設により、2つの小さな島がシテ島に加わる。これらの島の1つは、 テンプル騎士団の最後のグランドマスターであるジャック・ド・モレーが1314年に火傷を負った場所。橋の下の島とヘンリー4世の像は、 1884年、多くのロマンチックな出来事で有名なヘンリー4世の愛称である「ギャラントグリーン」であるヴェールガラントに捧げられた。
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