ドゥブロヴニクの言葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:32 UTC 版)
「ドゥブロヴニク」の記事における「ドゥブロヴニクの言葉」の解説
ドゥブロヴニクの公用語は1472年までラテン語が使用されていた。その後、ラグーサ共和国は公用語にラテン語と同系のロマンス諸語の一種であるラグーサ方言のダルマチア語を採用すること決め、議会での討議の場でのスラヴ語の使用は禁止された。上流階級 (Gospari) は自分たちの言葉を数世紀にわたって保持していたが、徐々に廃れていった。ラテン系の言葉が公用語として使われてはいたが、共和国のほとんどの地元住民はスラヴ語を使用していた。1698年の P. A. Tolstoj による記録に残されている。彼らは共和国に常に誇りを持っていたため、自分たちのことをラグーサ人を意味するラグーサン (Ragusan)、ラグセオス (Raguseos) と呼んでいた。ダルマチア語は市内で話されていたが、イタリア語も話されておりヴェネツィア語やトスカーナ方言の影響も強かった。
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