ドゥシャン・ポポヴ
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ドゥシャン・“ドゥシュコ”・ポポヴ(セルビア語: Душан "Душко" Попов / Dušan "Duško" Popov、1912年 - 1981年8月22日)は、セルビア出身のスパイである。姓は日本語で「ポポフ」とも表記される。
- ^ 今野勉『真珠湾攻撃・ルーズベルトは知っていたか』PHP文庫、2001年、p.201。二人の二重スパイを部下に抱えたことを三輪車にたとえたもの。
- ^ NHK BS-hi 2010年4月27日20:00~21:30「世界史発掘!時空タイムス編集部▽華麗なるスパイ007は実在した!」。
- ^ フーヴァーが亡くなってから2年後のことで、「死人に口なし」の典型かもしれない。「その死後に多くのスキャンダルが噴出したフーヴァーの生涯を思うと、贔屓の引き倒しかもしれないが、ドゥシュコに味方したくなる」(大岡玲『本に訊け!』光文社p.217)という。
- ^ ポポヴが日米開戦4ヶ月前にFBI長官フーバーに真珠湾攻撃を示唆する極秘情報を伝えようとしたが、フレミングは「トライシクル」を嫌悪して受け取らなかったという(川成洋『紳士の国のインテリジェンス』集英社新書 2007年)。
- ^ 今野勉『真珠湾奇襲・ルーズベルトは知っていたか』p.200 - 227。上記のポポヴの回想録の記述も本書による。
- ^ 日本の機動部隊にハワイ攻撃の「機密連合艦隊命令」が山本五十六連合艦隊司令長官から手交されたのは11月8日である(『真珠湾攻撃・ルーズベルトは知っていたか』p.99 - 100)。
- ^ 今野は「でっちあげ」が可能になった点について、上記のマスターマン卿の著書で「日米開戦時に真珠湾が最初に攻撃されることやその攻撃計画がかなり進んでいたことを、質問状が示唆していると考えるのはきわめて公平な推論である」と記されているのを読んだポポヴがこれを利用して、真珠湾に関する調査項目を「日本からの依頼」に見せかければ「真珠湾攻撃の予知者」としての栄誉を得られると考えたのだ、というイギリスの軍事史家ウエストの見解を紹介している
- ^ 『真珠湾攻撃・ルーズベルトは知っていたか』p227f。ウエストの見解はNigel West『Unreliable Witness』1984年(邦訳は『スパイ伝説 - 出来すぎた証言』篠原成子訳、原書房、1986年)からの引用。
- ^ 『真珠湾攻撃・ルーズベルトは知っていたか』p.229。
- 1 ドゥシャン・ポポヴとは
- 2 ドゥシャン・ポポヴの概要
- 3 著書
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