トラファルガーの海戦以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:54 UTC 版)
「サミュエル・サットン」の記事における「トラファルガーの海戦以後」の解説
サットンとアンフィオンは1805年もネルソンの艦隊と共に行動し、トラファルガー戦役に参戦して、ピエール=シャルル・ヴィルヌーヴの戦隊を西インド諸島まで追跡した後、地中海に戻ってきた。サットンは、艦隊が戻ってきてリスボン沖に投錨したころに健康を害し、ネルソンは彼を療養させるために艦から下ろして、代わりにウィリアム・ホスト(英語版)をアンフィオンの指揮官に任命した。サットンは拿捕したスペイン艦の財宝のおかげで裕福であったため、現役を引退して、この後艦上での任務にはつかなかったと思われる。その後はノーフォーク州とサフォーク州で、行政長官と州の副統監を務め、1821年7月19日に少将に昇進した。翌年の1832年の6月、サットンは、ノーフォーク州ディッチンガムで72歳で死去した。
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