トムスとレイトンハウス
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イギリスから帰国した1983年には、トヨタ系の名門チームのトムスと契約し、1984年には全日本耐久選手権に参戦した。1985年にはトムスよりル・マン24時間レースに参戦し、その後合計11回参戦する。 1986年からはレイトンハウスのドライバーとして、日本のトップカテゴリーの全日本F3000選手権や全日本ツーリングカー選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などで活躍した。 さらに1989年には、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権とル・マン24時間レースにレイトンハウスのポルシェ・962Cで参戦し、同年の富士GC最終戦では最後の勝者となった。 このように、トムス及びレイトンハウスの顔として活躍したが、バブル景気が崩壊し、1991年9月11日にレイトンハウスのオーナーの赤城明が「富士銀行不正融資事件」で逮捕され、レイトンハウスの活動は同年を持って休止となった。
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